今日は、10月20日の「ミューズの調べ」コンサートでお世話になった、久保田チェンバロ工房にお礼を兼ねて訪ねることにした。
清里からは、中央道須玉〜八王子JCT〜鶴ケ島JCT〜関越道所沢まで2時間少しの距離だった。思っていたほど時間はかからなかった。久保田チェンバロ工房がある、埼玉県新座市は東京都との県境にあり、あたりは、ぽっかりと長閑な畑が広がっている。
最初に、「ミューズの調べ」コンサートについてお礼を言うと、久保田さんは「大成功でしたね」とおっしゃっておられた。職人さんが忙しく作業をされているなか、丁寧に工房の中をご案内していただく。
久保田さんにお会いして教えていただきたいことが2点あった。1点は、チェンバロのバロックピッチとモダンピッチをスライドさせる機構(トランスポーズ機構)について、第2点は、チェンバロとピアノとの関係、についてだ。
この二つの点については久保田彰著「チェンバロ」のなかで書かれていることだが、それを実際に確かめたかったのだ。
先ず第1点目の「トランスポーズ機構」についてだ。これはいわゆるバロックピッチを現代的にどのようにとらえるか、ということに関係している。
久保田氏の著書では、次のように語られている。
「現代のオーケストラ・ピッチal440hzは20世紀前半に国際会議で定められた規約で、それ以前は各国、地方で異なった基準ピッチで演奏されていました。昔は統一する必要もなく、音楽家は臨機応変、フレキシブルな対応をしていたのでしょう。」バロック時代は、演奏家はある国や町に行けばそこのピッチで演奏するし、他の地方に行けばまた違うピッチで演奏していたらしい。ピッチの違いにかかわらず自らの演奏技術の腕を披露していたと言われている。
「古楽器復元ムーブメントが、現存するオリジナル楽器の精密な寸法測定に基づいて行われるようになったとき、そのピッチの不統一もそのまま再現される事態になって、チェンバロなどの鍵盤楽器は、ピッチの基準設定には不都合な状況がおきました。」要は、ヴァイオリンやフラウトトラヴェルソ、リコーダーなどは、様々なピッチに容易に対応できるが、鍵盤楽器はピッチの違いに直ぐには対応できなかった。
「そこで、古楽器演奏についてはひとつのモデル・ケースとして、バロック楽器は現代ピッチより半音低いal=415hz(にしましょう?)と便宜的に決められました。しかし、これは一種の妥協案であり、一時的には古楽器のスタンダード・ピッチとなるかに思えましたが、研究が進むにつれ、古の音楽がすべて低ピッチではなく、むしろ高い地方、あるいは半音よりも更に低い地域や時期なども認識されるようになりました。」
「現代のチェンバロは故意に付加された鍵盤シフト構造によって、その双方のピッチに対応できるように制作されていますが、その根拠は曖昧であり、オリジナルの厳密な再現という問題に逆行していると言わざるを得ません。」
「個人的にはこのような事態は健康的な考えとは思えず、可能ならば、解消できる方向に向かってほしいと願うものです。」
久保田氏はこの様に、その著書ではっきり述べておられる。実際のチェンバロではどうなっているのだろうか。
右端に「半音上げ下げする空間」が空けられていて、鍵盤は半音分移動することによってモダンピッチと便宜的に設定された「バロックピッチ」を弾き分けることができる。この便利さがオーセンティシティ=真正性に欠けるのだ。
実際に鍵盤を上げて、目の前でシフトしていただいた。私は、ピアノは全てモダンピッチに統合されていて、バロックピッチのピアノなどないですね、というと、久保田氏も、チェンバロもそうあるべきである、とはっきり述べておられた。それが、今のような「トランスポーズ機構」があるというのは、あくまでも、需要と供給の問題であり、更に言えば、それがないチェンバロは実際の市場では買う人が少ないという現実があるからである。もちろん、チェンバロがモダンピッチでモダン楽器として演奏されることにも問題は無いのだ。お聞きすると、こうした付加機構は、故障の原因にもなりやすく、チェンバロのトラブルの90%は「トランスポーズ機構」の誤った使用に起因するとのことであった。今後、歴史的に正当性のあるチェンバロが生まれることを期待したい。
第2点目の「チェンバロとピアノとの関係」について
これについても久保田氏はその著書の中で明快に書いている。
「チェンバロが音楽史の表舞台から消えた理由については、永い間、俗説に支配されていた。ピアノの発明によって、音量的に不利なチェンバロが淘汰されたという説は、以前から教科書や楽器解説書などによって流布されて、いまだに多くの愛好者に、この誤った認識は刷り込まれてしまっている。チェンバロの実践的研究の立場では、衰退の要因は市民革命など社会事情や、音楽の趣味の変化によるもので、ピアノの音量増大傾向は、チェンバロ衰退の時期からかなり後の時代に起きる現象である。この機会に訂正されるべき事項として期待したい。」
言われるとおり、チェンバロはピアノの音量に放逐されたものではなく、身分社会当時の貴族の富の象徴として、第3身分(市民階級)の社会変革の対象となった点、並びに市民が求める音楽が変化したことにあるのである。実際、チェンバロではベートーヴェンのピアノソナタは、演奏不可能であろう。
久保田氏が非凡であるのは、チェンバロとピアノとの関係を、そうした解説だけに終わらずに、実際に初期のピアノはどういうものであったのかの研究を重ね、しかも、当時の設計図を分析して、独力でそれを作り上げた点である。それが「クリストーフォリ・ピアノ」である。それを制作してからも、更にそれより250年も古いアンリ・アルノーの設計図を基にごく初期のピアノの試作品が、工房にあったので見せていただいた。弾いていただくと確かに、ピアノの様に弦を叩いて音が出るのがわかる。これは世界でこれ一つしかないとのことである。
そして、久保田氏制作の「クリストーフォリ・ピアノ」で、ドメニコ・スカルラッティの曲が演奏されたCDも紹介していただいた。聴いてみると、チェンバロの響きに似ているのだがやはり違う。チェンバロではなく、強弱のあるピアノの響きがきこえてくるのだ。
久保田氏は、自ら制作しているチェンバロとピアノを対立する楽器としてとらえるのではなく、次のように語っている「私はクリストーフォリ・アクションによるピアノの制作体験によって、それまで完全に断絶していたチェンバロとピアノの間にある深い溝に一本の橋が架けられたような、自分の意識が双方に自由に行き来できるような充足感を得ることができた。」
久保田氏の心はあくまでも史的事実に忠実で且つ広いのだ。こうした点について素人の私の質問にも誠実に応えていただいたのが嬉しかった。
来月からは広島で「ルドゥーテのバラ展」があり、そこで久保田氏制作のチェンバロが演奏されるので、広島に行くのですよ、と言われていた。実に忙しく日本全国を飛び回っておられるのだ。