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Channel: フルートおじさんの八ヶ岳日記
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蓼科から見た夕映えの八ヶ岳

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昨日は雨だったが一夜明けると、今朝もまた、素晴らしい青空が広がっている。その分冷え込みが一段強まって、外気温は2度まで下がった。薄らと雪が積もった赤岳は朝日があたって、荘厳に浮かんでいる。

今日は水曜日だが、フルートのレッスンがないので、午後からドライブを楽しんだ。八ヶ岳をぐるっと回って原村〜蓼科〜白樺湖の方面を走る。1時過ぎになって、お腹が減ってきたので白樺湖の手前の「だんべえ」という蕎麦屋に入る。全く初めての店だ。看板には「石臼挽本手打ち」と書いているので、それに惹かれたというわけだ。

私はざる蕎麦、妻は温かいキツネ蕎麦(メニューにはたタヌキ蕎麦というのもあった。)を注文する。蕎麦が出てくるのを待っていると、壁に「ちまきあります」と貼っているのを発見した妻は、自分もちまきを作っているので「どんな味かな」とつぶくや、「ちまきふたつ!」と声をかけた。「ダ○○ット」が思うほど進まないのも、むべなるかなである。(いや、食べたのは一つずつです)

「石臼挽本手打ち」というだけあって、蕎麦の味、舌触りなかなかいける。出汁もカツオの味が効いて、関西人としては嬉しいではないか。

白樺湖の湖岸を走ってみると、閉店している旅館も見受けられ、時代の変化を感じさせられた。平日なので観光客もおらず、静かな秋の湖をしばし楽しむ。眼前には春に登れなかった蓼科山が、ゆったりと佇んでいた。

そこから、蓼科方面に道を取る。車はほとんど走っていない。途中に「女の神展望台」というところがあった。2台のカメラを三脚にセットして立っている人がいたので、尋ねると、夕焼けの蓼科を狙っているとのこと。そこからは南アルプスや中央アルプスが一望できて素晴らしい眺めだ。

とりわけ、陽が斜めに射しかかってきた蓼科、八ヶ岳は、何ともたとえようのないほどの美しさだった。


丸谷才一「女ざかり」を読む

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英文学の翻訳、幅広い文芸評論で知られた作家、評論家、英文学者で文化勲章受章者の丸谷才一さんが、10月13日亡くなった。87歳だった。

68年に「年の残り」で芥川賞を受賞したあと、72年の「たった一人の反乱」など10年おきに長編を書いてきたとのこと。今まで、気になりながらも、全く読んだことのない作家だったが、亡くなったなったということもあり、93年のベストセラーだった「女ざかり」を読んでみる。

念願の論説委員になった新日報社の南弓子は社会部出身の文章が書けない浦野を手助けする一方で、初めての社説を書いた。だがその社説は水子供養で儲けている、ある宗教団体を怒らせてしまい、そこから巨額の援助を受けていた政府与党の幹事長・榊原の圧力で、弓子は左遷を言い渡されることに。だが、彼女はきっぱり拒否。弓子を説得できないとなると、今度は、その新聞社の新社屋建設における国有地の払い下げに、待ったがかかる。彼女をなんとか助けようとの動きで話が展開するが、話がもつれそうなところで、意外なところから事態は解決した。全てが解決すると、弓子は、新聞社を辞めたくなってきて、年度末に退社することになる。結末は、(言わないが)、やや白けるかんじだが、、表題通り45歳の弓子は、今後も力強く生きていくだろうという感じだ。

ストーリーの展開の合間に色んな登場人物、新聞人、日本史の大学教授、官僚、哲学の教授、書家、政治家、女優などが、さまざまなウンチクを披露するのが面白い。
それ以外にも、「山鳥色の紬の一つ紋」「ひは茶の帯締め」の色、「絵志野の四方小鉢」「染付の猪口、久谷の猪口、黄瀬戸の猪口」などの色と形、あるいは「サニーレタス、アンディーブ、白ネギ、完熟の赤いトマトのサラダ」のアンディーブの味と料理レシピなどに興味がいったりして、読み終わるのに時間がかかったてしまった。

「丸谷さんが嫌ったのは、やたらに暗くて深刻ぶる態度、じめじめと湿った感情的な文章、偏狭なまじめさやえん世的な世界観だった。…逆に、知的な市民生活や明るい笑い、健全な楽しみや品のいい態度を好んだ。」(毎日JP)と言われるのが、少し分かったような気がする。

吉野みたらい渓谷の紅葉

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ご近所のNさんから、吉野のみたらい渓谷の紅葉を見に行きませんか、というお誘いがあった。みたらい渓谷は関西では有名な紅葉のスポットだが、これまでは行ったことがなかったので、お言葉に甘えて、ご一緒させていただいた。

南阪奈道路を通って、下市口から、大峰山の麓、洞川を目指す。以前は、深い山の中の道路を幾重にもくねりながらバスで行ったことがあるが、現在では、虻トンネルなどが開通して、実に走りやすい道になった。自宅からは1時間30分ほどで、観音峰駐車場に到着した。

みたらい渓谷を楽しむ前に、つり橋を渡って、観音峰を目指す。

ここには南北朝の戦いの史跡が数多く残されている。ご一緒させていただいたNさんは、私たちより少し年上のご夫婦だが、日ごろからプールや体操教室に通っておられるだけではなく、月に何度かハイキングをされているので、健脚そのものの軽やかな足取りだ。

登山道に沿って、南北朝の歴史が簡略にまとめられている石碑があり、ちょっと休憩して、それらに目を通しているうちに、神社跡についた。

「正平七年(1352)、吉野朝廷の人々が夢見た京都奪回がついに実現いたしました。が、それも束の間のこと、再び北軍が巻き返し、南軍北軍めまぐるしく京都を奪い合い、結局北軍の勝利に終わりました。 この後、後村上天皇に崩御し、長慶天皇が即位されました。さて、南朝軍の柱である楠木正儀が甘言に誘われて突然幕府方に寝返ったことから、長慶天皇は皇太子煕成(ひろなり)親王に三種の神器をもたせ、吉野の奥深くにお隠しになりました。その後楠木正儀をはじめとする幕軍の攻撃により、天皇もまた吉野の奥へと遷幸され、天川郷位衆傳御組はこれを警護し奉って河合寺の黒木御所に迎えました。そして、郷民をあげて長慶天皇や煕成親王らを坪内の御所ノ坊、沢原の光遍が、野川勢を中心とする逆徒が執拗に襲来したため、これを迎え撃って戦いをくりひろげました。この戦いで河合寺は焼失し、長慶天皇や煕成親王は観音の岩屋に避難されました。が、ここまでも追手があり、天川郷士たちはこれを撃退し、尾根づたいに洞川の龍泉寺へとご案内申し上げたのでございます。」

そこを少し登ると、大きな岩があり、

その岩の下に「観音の岩屋」があった。内部は暗くさほど広くなかった。

そこから来た道を駐車場まで戻り、昼食を取る。食後は、みたらい渓谷を下る。道は最初は杉林の平坦な道をたどり、その後、渓谷に沿って道を下っていく。

見るものを圧する巨岩、緑の縁、

それに黄色から真っ赤までのさまざまな色あいに染まったもみじの数々、その美しさを堪能する。

1時間ほど歩くと、自動車道に下りてきた。ここで川は分かれており、みたらい渓谷は河合方面にも続いている。

駐車場へ戻る道は、少しきつい階段を登らねばならなかったが、それを登り切ると平坦な道となり、観音峰駐車場に戻ってきた。

丁度夕食前に自宅に帰ってきたこともあり、その後は、Nさん宅で、夕食をご一緒した。車好きのご主人の車の話しあり、iPS細胞の山中教授の話あり、音楽の話ありと、いつも通り面白い会話をたっぷり楽しませていただいた。

志野・織部の里を訪ねる

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大阪で法事や同窓会、夏山登山反省会などを済ませて、今日は2週間ぶりに清里に戻る。幸すがすがしい秋晴れに恵まれた。庭や山々の紅葉はどこまで進んでいるであろうか。おそらく、ほとんど紅葉が終わっているかもしれない。との、期待感が高まる。

山梨へ戻る途中には、信楽焼や伊賀焼き、瀬戸焼き、美濃焼きなど焼き物で有名なところが多いが、瀬戸焼きや美濃焼きを訪ねたことがなかった。今回は、美濃焼きを少し見てみることにした。

中央道多治見ICでおりて、先ずは「美濃焼きミュージーアム」を見学する。

5世紀の須恵器、9世紀後半の灰釉陶器、12世紀から15世紀の無釉の山茶碗、桃山時代の瀬戸黒、黄瀬戸、志野、織部に代表される桃山陶。同時期に盛行した茶の湯に合わせて、数多くの茶陶が生産された。

黒釉のみで歪みを加えたり沓形に作られたものは「織部黒」と呼ばれ、文様を施し装飾するものを「黒織部」と呼び区別されている。
文化・文政年間に始まった磁器生産は、明治になると、摺り絵(すりえ)や、銅版(どうばん)転写による大量生産が始まった。などの解説を読みながら作品を鑑賞した。

その後「志野・織部 道の駅」に寄る。

地元の農産物や土産物とともに、焼き物が売られている。少しショッピングをしてからレストランに入って名物の「おひつまぶし」定食を食べる。小さなおひつに、ウナギご飯が盛られていて、最初は、そのまま食べ、次は、海苔、葱、山葵を載せて食べる、最後は、味付けされたお茶をかけてお茶漬けにして食べる。美味しく楽しい食事だった。

食後は、近くにある「織部ヒルズ」という、広い敷地に美濃焼の卸店が一堂に会したところを見る。なにしろ広いので、今回は入り口近くの店だけに絞って焼き物を楽しんだ。安いものから高価なものまで、色々あり、大阪の道具屋筋よりも遥かに品数が豊富で、しかも安いのが魅力である。

午後2時過ぎまで美濃焼きを楽しんでから、中央道をゆっくり走る。諏訪SAを通過するとき見た夕暮れの八ヶ岳は、ひたすら美しかった。(車を止めて写真を撮るべきであった)
アダージョの森に到着したころにはすっかり暗くなってしまっていた。

晩秋 その美しさ

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昨日からの雨も上がり、今日はいい天気になった。紅葉の前半を彩ったヤマザクラ、ウリカエデ、ウリハダカエデ、コアジサイ、コハウチワカエデなどが葉を落とし、森の中は幾分明るくなった。アダージョの森は、雨に濡れた落ち葉で埋め尽くされている。

紅葉の最後を飾るのは、コマユミ、オオモミジ、ダンコウバイ、それにコナラとカラマツ、これらが見事に紅葉・黄葉している。

付近の山々も、鮮やかに紅葉してきた。少し歩いて、それらを楽しもう。

 

ハイキングコースを歩いていくと、宮沢賢治の童話、「風の又三郎」の話のもとになったとも言われる、風の三郎伝説の「五幹の松」に着いた。根回り4・5mの巨大な赤松は凄い迫力だ。人々はここで「暴風雨避け」を祈願したという。

そこから北甲斐亭までの道を歩く。まだ散らずにあるウリカエデの目の覚めるような黄葉。

コハウチワカエデの紅葉。

アダージョの森に戻って来ると、西側のオオモミジの大木が鮮やかに色づいている。

足元には、黄色から真っ赤までの様々な色合いに染まった葉が一面に落ちていた。

八ヶ岳を見ようと少し車で行くと、冠雪した八ヶ岳はひときわ美しく、気高くなってきた。

秋の日のつるべ落としと言われる通り夕暮れが早くなってきた。斜めから射し込む光で紅く染められたアダージョの森は、ひっそりと静かで、ただただ美しい。

 

清里フットパスを辿る

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 今日もいい天気になった。気温も上がってきたので、久しぶりにハイキングに出かけよう。「清里フットパス」というのがあるのを聞いたので、清里駅前の案内所で資料を貰うことにする。応対された方は、親切に色々教えてくれた。チラシ置き場に「清里フットパス」15コースの地図が置かれていた。発行は「清里・八ヶ岳南麓魅力づくり協議会」となっている。それをいただくいた他に、様々な観光資料もいただいた。

15コースのうち、今日は「キープエリア1」 川俣渓谷への小径、2キロのコースを歩こう。


出発地点は清泉寮の駐車場だ。10時過ぎに歩きはじめる。清泉寮前の草地では、いくつかの写生グループが、写生を楽しんでいた。

広々とした草地の景色が実にのびやかだ。

そこから、クマザサの道を辿り、ややきつい下りとなる。東沢渓谷へ下りていく。

渓谷の出会いで、吐竜の滝方面(下り)と東沢大橋方面(登り)に分かれていて、私たちは、登りのコースをたどる。

天井岩や黄金岩などと名付けられた巨岩を見ながら渓谷を登る。あたりの紅葉はほとんど終わっていた。水の流れは、ところどころ滑滝になったり、勢をましたり、淵になったりしている。

渓谷にかかる橋を渡る。一度に5人の方は渡らないでくださいとの、注意書きがあった。天狗岩という大きな岩があるところで、東沢大橋まで上り詰める道と清泉寮へ戻る道が分かれている。右側の清泉寮へ戻る道を取る。いきなり急な階段を登るのがなかなかきつい。

それも、しばらく行くと終わり、八ヶ岳を望む平坦なところに出てきた。

そこからは歩きやすい道になって、

ほどなく車を置いている清泉寮前に出てきた。11時20分過ぎになっていた。

1時間余りのウォーキングだったが、途中、一組のご夫婦に会っただけで、静かで、清々しいハイキングを楽しむことができた。これに勢いづいて、「清里フットパス」の全15コースを歩こうかなという、夢が膨らんできた。なかには270分もかかる「羽衣の池・まきば公園コース」というのもあるが、はてさて、どうなるであろうか。

フルートDuo演奏会に向けて

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今朝の外気温はマイナス2度。かなり冷え込みがきつくなってきた。朝食後、八ヶ岳西麓まで車を走らせる。TMTMさん宅では、昨夜からの雪が薄らと残っていた。10月20日の「ミューズの調べ」コンサートでは、奥さんに受付、ご主人に駐車場誘導を手伝っていただき、そのお礼を述べる。

奥さんが、素敵なフルーツティーを用意してくれた。八ヶ岳倶楽部の直伝のフルーツティーだ。リンゴの味をベースに、キーウィ、葡萄などフルートの香りと甘さが紅茶に絡み合って、深い味わいを楽しませていただいた。

その後は奥さんのピアノの伴奏で「愛の挨拶」を吹かせていただいた。ほとんど練習していなかったが、なんとか最後まで吹くことができた。愛らしくも美しい旋律がいいので、これからももっと練習を積みましょうということになった。

昼食は、いつもの梅蔵へ行く。平日というのに、満員の盛況だ。店の雰囲気がよく、もちろん味もよし、その上リーズナブルということなので人気の店なのだ。ランチのリンゴの薄切りをトッピングしたピザが、甘くユニークな味がしたのが美味しい。

その後、Ohimajiさん宅を訪ねる。12月8日、清里のペンション「ミュー」さんで、フルートduoの演奏を行うことになっており、その第1回合同練習という触れ込みだ。

先ずは、Ohimajiさんが、夏からコツコツと作り上げてきた倉庫を見せていただく。自宅を建設したときに残った建材を使って作り上げたとのことだが、プロの大工さんかとも思える、丁寧な仕事だ。南側に面した片流れの屋根で、骨格が出来上がり、これから内装と外装を仕上げていくとのこと。

その後、二人で、演奏しようとしている曲を全て通して演奏した。全部やるとかなり長くなるので、そのうちから10曲をセレクトして演奏する。12月ということもあり、クリスマス曲を入れたり、愛唱歌を入れたりすることにした。曲の配列、繰り返しをするかしなか、などを考える。最後にその10曲を通して演奏すると20分ほどだったので、丁度いい加減な長さになった。

これから本番まで1週間に1回ぐらい音合わせをやりましょうということになった。次回は11月22日(木)だ。演奏を終わってから、しばらく音楽の話を楽しむ。バロック音楽、純正調〜平均律などの話では、Ohimajiさんは、関係著書も沢山読まれており、教えられることが多かった。

冬の装いを始めた山々

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葉を大分落とした雑木林の向こうに、スッキリした青空が広がっている。外気温はマイナス1度。夜が明けてくると山々が朝焼けに美しく染まってきた。

防寒対策をして、外に出る。やや薄暗い裾野の上にどっしりと聳える八ヶ岳。

赤岳は神々しく輝いている。

目を南に転じると、、南アルプスの山並みが素晴らしい。

その山並みの向こうに、控えめに鎮座している北岳。この日本第二の高峰は、いささかもしゃしゃり出ることもなく、いち早くまっ白に雪を纏って、南アルプスの峰々を統べている。

昼前にもう一度散歩に出る。檜の緑を織り交ぜながら紅葉の最後を飾る落葉松林が美しく丹色(にいろ)に染まっていた。


クロスカントリーコースを歩く (清里フットパスその2)

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昨夜からの雨は朝には止んでいた。外気温は2度だが、風が強いので、寒さを感じる。朝食後、いい天気になってきたので、清里フットパスを歩くことにした。

今日も出発は清泉寮だ。

今回は広大なキープ協会の北側、映画「西の魔女が死んだ」のロケ地にもなったエリアにクロスカントリーコースがあり、そこがフットパスの入口となっている。

自然そのままの森の中に道がついていて、歩いていくと八ヶ岳高原道路のすぐそばまで上り詰めた。

道はそこから下りになる。途中、何の小屋であろうか、小さな倉庫があった。

クマザサの道を歩いていくと、

「展望テラス」という見晴らしのいいところに出てきた。

清泉寮の草地とは全く別の草地で、これまで訪れたことがなかったところだ。テラスからは、霞んでいるが富士山を望むことができた。

その草地に沿って下る道は実にすがすがしい。

標高が高いこのエリアは、紅葉がほとんど終わりに近づいていた。

ほどなく、「キープ・ファームショップ」に着いた。

そこを行くとジャム工房前に出てくる。可愛いジャージー牛の子牛が草を食んでいて、観光客におねだりをしていた。

真っ直ぐ清泉寮に続いている道を登ると、元の駐車場に到着した。1時間少しの、疲れない歩きやすいコースだった。

初めての蕎麦打ち

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今日は地元の80歳のおばあちゃんに蕎麦の打ち方を教えていただいた。
蕎麦打ちは、夫婦とも全く初めてだ。打ちやすいようにと蕎麦粉700g、小麦粉300g合わせて1000グラムの粉を用意する。地元の蕎麦畑で採れた蕎麦は冷蔵庫で保存されてていて、必要に応じて蕎麦粉に挽かれる。粉を混ぜていると、プーンといい香りがしてくる。

それに熱湯410ccほどを加えて、捏ねる。最初は熱いので注意するようにとのこと。

少しずつ集めていく。

陶芸をやっている妻は要領が同じだと手際が良い。

私の方は、「そんなに抑えつけずに、玉を作るように」とおばあちゃんから何度も注意される。おばあちゃんと交互に捏ねているとだんだん玉になってきた。蕎麦粉が冷たくならないうちに、捏ね終わらねばならないとのこと。なんとか、いい玉が出来上がった。

次は、伸ばしの工程に入る。打ち粉を用意して

棒で、少しずつ伸ばしていき、

ある程度の大きさまで伸びると、棒に巻く。

それを手元まで抑えつけながら戻してくる。それを4度ほどくる返すと、蕎麦は少しずつ伸びてくる。

今度は、向きを180度変えて同じように巻き、それを手元まで抑えながら戻してくる。

油断すると、蕎麦の生地に、「ギャザー」ができてしまった。おばあちゃんは、打ち粉を振りながら、その「ギャザー」を上手く解消していく。「もっと力を入れて」と指導を受けながら蕎麦を伸ばしていく。

そうこうしていると、おおきな板に蕎麦の生地が広がってきた。正方形になるように生地を上手く伸ばすのがコツだ。

生地が伸びると、それを半分に畳み更に3つ折りする。

今度は蕎麦を切る工程だ。おばあちゃんは、実に細く、一定のテンポで小気味よく切っていく。

「切りますか」と言って包丁を渡された。見よう見まねで切るのだが、意外と力が入る。「左手の生地を支える方には力を入れないように」とのこと。確かに包丁を持つ右手に力を入れると、左手まで力が入ってしまうのだ。

それでも何とか、切り終えることができた。もちろん太さはまちまちであるが、これも手作りの良さとも言える。

打ち終わった蕎麦は緑色して美しい。家へ持ち帰り、しばらくなじませる。

丁度夕食の時間になったので、それをたっぷりの湯で茹でる。沸騰した鍋に蕎麦を入れ、再度沸騰すると差し水をして、更にしばらく茹でる。茹で具合を確かめて、頃あいよしとなると笊に取り、冷水で締める。

まさに、「挽きたて」「打ち立て」「茹でたて」の三立ての蕎麦だ。口に入れてみると、蕎麦の香りが立って、歯触り味とも申し分なかった。これは蕎麦打ちにはまりそうだ。練習用に700グラムの蕎麦粉をいただいたので忘れぬうちに、一人でやってみよう。

初冬の楽しみ 吊るし柿

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今日もいい天気になった。朝の外気温は4度と暖かい。しかし、かなり強い風が吹いている。昨日、フルート仲間のFさんから、藁の束と渋柿を分けていただいた。強い風が吹いているなか、草木のマルチングをやることにする。南側の花壇では、白いリンドウが寒さに耐えて咲いている。

大きな藁束の中には、括られた小さな藁束が入っている。それをほどかずに使うのがポイントと教えていただいた。

寒さに弱いサルビヤ・レプタンスやバラの苗、それにブルーベリーやサクランボの小さな苗などの周りに藁を敷いていく。

草木には冬の乾いた冷たい風が一番悪いのだ。藁のマルチングで少しでもそれを防ぐことができればうれしい。

午後からは、部屋の中は陽が入り込んできてポカポカと暖かい。私は、日課のフルート練習をする。基礎練習とアルテ24課の練習曲NO2.NO3をやる。NO2のターンがなかなかできないので苦労している。思えば、この練習曲は今年の5月からやっている曲だが、11月も終わろうとするのにまだ仕上がっていないのがつらいところだ。

その後、バッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲」第2楽章をやる。曲の雰囲気が大分分かってきた。テンポを落として丁寧に吹くのを心がける。

次に、12月8日のフルートDuo演奏会に向けて、演奏する10曲のセカンドパートを練習した。セカンドパートは思わぬ旋律の変化と運指があるので、気をつけなければならない。まだまだ、練習が足りないのを痛感した。

私がフルートを吹いている間に、妻は、いただいた渋柿(品種はわからない)

の皮をむき、吊るし柿を作った。

私の役割は、それを吊るす木の枝を軒先に差し込む作業だけ。

30個の柿は冬の冷たい風と太陽で2週間後には美味しい干し柿になるという。それを楽しみに待とう。

小春日和の趣味悠々

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今日もいい天気になった。毎朝7時過ぎになると市営バスがやってくる。

昼からはいつも通り、妻を環陶芸工房へ送り、私は明野の「チャミタクハウス」にフルートレッスンへ行く。小春日和の日差しでポカポカと暖かい。

アルテ24課「ターン」練習曲NO2を一通り吹いてから、先生と二重奏をやった。先生に下のパートを吹いてもらうと、なかなか響きの美しい曲である。もっとも私の「ターン」が上手く決まらないので、もう一度練習してきて下さいとなった。NO3の方も先生と二重奏をしたが、こちらの方は、「ターン」がそれほど難しくないので、なんとか最後まで吹くことができた。

レッスンが終わってから見た八ヶ岳は、普段見ている姿より、やや西側からの角度になり、いい形だ。


赤岳、阿弥陀岳も美しい。

陶芸工房へ行くと妻の作品が出来上がっていた。今回はデザートカップ作り。高台を作り底を水平にするところが神経を使う。

全部で8客作ったとのこと。これを素焼きしてもらって、その後、釉薬をかけることになる。なんとなく大きさが違う気がするが、これは言わないでおこう。

いい夫婦の日 タマネギを植え付ける

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10時過ぎに地元のFさんが、タマネギの苗をもってきてくれた。なんでも、近くの農家の方が夏に種を播いて、それを先日植え付けたのだが、40株余ったからもらってきてくれたのだ。

それだけで終わると思っていたら、「畑に行きましょう、鍬と紐をもってきて下さい」と声をかけられる。何と、植え付ける時期が少し遅いので、今すぐに一緒に植え付けましょうということだ。慌てて着替えて畑に駆けつけると、早速、畑を耕し始めた。

割りばしで区画を決め、肥やしと米ぬかを鋤きこむ。

そこへ穴あきマルチを貼る。

その穴に、タマネギの苗を割りばしで掴んで「すっと入れ、根元を土で固める」という植え付け方を教わった。

40株の植え付けが終わると、

その後は、ビニールを貼る。これをやっておくと育ちが違うそうだ。

ものの1時間もかからない内に、タマネギの植え付け作業が終わった。Fさんは、今から大豆を寄り分ける作業があると言って、休憩する間もなく帰って行った。実によく働く方である。

昼から、私がフルート練習をしている間に、妻は今日もパン作りに精を出している。夕方Fさんご夫婦がやってきた。これから、97歳と100歳になる、それぞれのおばあちゃんの御見舞に行くとのこと。朝のタマネギ植え付けのお礼に焼きたてのパンをお裾分けする。

今日は11月22日、「いい夫婦」の日だ。そういえば今日は、一緒にタマネギの植え付けをし、互いの好きなことをし、喧嘩をしなかったな。

楽しい語らいとフルート二重奏

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今日は、忙しい仕事の合間を縫って、ブルーベルさんご夫婦にお越しいただいた。もちろんチョロちゃんも一緒だ。生憎の空模様だったが、幸運にも、我が家に到着した頃には、雨もやみ空が明るくなってきた。

10月の初めにお越しいただいた時は、私一人だったので、今日は初めて夫婦でお会いすることになった。
気取らず、物静かで、フレンドリーなお二人だ。

先ずは、木の葉がすっかり散ってしまった雑木林の中を歩いていただく。葉がないので明るくなった。ほとんど手を入れていない自然のままの雑木林は、私としては、少しなんとかしたいものと思っているのだが、「それがいいのですよ」とご主人。朽ちた木に生える苔を見つめるブルーベルさんは、自然のままが大好きな様子。

部屋に戻ってくると、「それでは少し吹いてみましょうか」と、早速ブルーベルさんとフルートの二重奏を始める。12月8日にフルート・ドュオの演奏会があるので、演奏曲10曲を一緒に吹いていただいた。ブルーベルさんは、全て初見でファースト・パートを吹き、私はセカンド・パートを練習した。
「ダニーボーイ」のゆっくりしたテンポがどうも苦手で合わしにくい。「オーソレミオ」のセカンド・パートのリズムが上手く決まらないか。「スカボローフェア」「最初のノエル」は美しくハモッたかな。

そうこうするうちに、美味しそうな匂いが漂ってきた。ブルーベルさんご夫婦とは、打ち解けた楽しい会話が続く。お茶を習っていたときの失敗談を披露していただいたときは、大笑いをさせていただいた。
小さいときの厳しい音楽教育の話、ハンギングバスケットの楽しみ、ご主人の趣味でもある陶芸の話など、笑い声の尽きない楽しい時間だった。

その後、お忙しいお二人の時間を取って、再びフルートの二重奏をやった。前回お預かりしたバッハの曲集から「主よ人の望みの喜びよ」と「二つのヴァイオリンのための協奏曲」から第二楽章をやる。とりあえず、初めてこの2曲の二重奏を吹き通せたのが嬉しい。まぁ、これから練習を積んでいくとなんとかなりそうな気がしてきたのが良かった。

あまりに人たちが長く話するものだから、チョロさんは少し退屈して不機嫌なご様子。また、お会いできる日を楽しみに、お別れした。

フルートDuo練習と谷桜

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今日は、いい天気になったので、朝食後1時間ほど散歩する。散歩道は、落ち葉の絨毯になってふかふかだ。かさこそという足音しか聞こえない初冬の森の中の静けさを楽しむ。

昼からは、Ohimajiさんに清里に来ていただいて、ペンション「ミュー」さんで、フルート・ドュオの練習をする。「ミュー」さんのダイニングルームは薪ストーブを焚いてくれていて暖かかった。

前回の練習が終わってから、Ohimajiさんから、演奏時間が少し短いようなので、あと2曲を追加しましょうか、という話があった。追加したのは「アニーローリー」「チリビリビン」の2曲だ。この「チリビリビン」のテンポ・リズムがなかなか慣れにくくて苦労した。少し練習を積む必要がある。

とりあえず、全12曲を通して演奏してみる。その後、曲の配列とパート決めを行う。それから、本番を想定して通して演奏する。演奏時間は20分ぐらいなので、曲紹介やおしゃべりなどを入れると、与えられた時間内に収まりそうだ。もう一度、「チリビリビン」「ダニーボーイ」「オーソレ・ミオ」など、合いにくい曲を何度か練習すると5時になったので、散会する。次回は、蓼科のOhimajiさん宅で練習することになっている。

練習中に大泉のりゅうちゃんの奥さんから妻に連絡が入って、今日大泉にやってきたから、夕食をご一緒しませんかというお誘いだ。「やりましょう!」ということになって、早速家へもどり、適当に夕食の素材を用意して出かける。りゅうちゃん宅へは八ヶ岳大橋を渡ると20分ほどで行けるのがいい。

今日こちらに着いてから、早速おでんを炊いてくれていて、鍋に溢れるばかりのおでんが出されてきた。
熱々のおでんを頬張りながら、再会を祝して乾杯だ。りゅうちゃんは、谷桜の一升瓶を用意してくれていたので、二人で差しつ差されつ美味しい地酒を味わった。

このほど奥さんは二胡の発表会があった。それが、なかなかのきびいしい教室とのことで、生徒さんの発表は音階演奏。ピアノの平均律とは違う二胡の音律で、一つ一つの音を正しく演奏するのがなかなかのむつかしいとのこと。美しい和音を響かせることの大事さを練習されているようだ。

その後、私のフルートの話になったので、私はフルートの構え方、指運びなどにおいて、「如何に力を抜くか」苦労していると語ると、それが、りゅうちゃんがやっている「ゆるゆる体操」と話が一致した。ソーシャルダンスをしているりゅうちゃんからは、力を抜いて、背筋を伸ばした姿勢から身体を押し出していく運び方とも、話が通じる、オリンピック100メートルで優勝したボルトの走り方にはトカゲのような上体のひねりがある、など面白く、なるほどと言う話を聞かせていただいた。

今年の冬には一緒に、スノーシューやスキーをやりましょうかと声を掛け合って、楽しい夕食会がお開きになった。


津金りんご祭りと北杜市合唱祭

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朝から青空が広がるいい天気になった。雪を纏った赤岳が美しい。

今日は三代校舎のある「おいしい学校」でりんご祭りがあるというので出かけることにした。りんご祭りの一番の狙いは美味しいりんごを格安でで手に入れることにある。会場には二つのコーナーがあり、一つは無選別で大小の玉が袋詰めしてあるもの。もう一つは、選別していて、玉が揃っているもの。どちらとも一人3袋、3箱までとなっている。

フルート友達のFさんとその友達もご一緒に行く。会場には8時過ぎに到着した。驚いたことに二つのコーナーとも、9時30分から始まるのだが、既に長い列ができていた。並ぶと福引券がもらえて、何がしかのお土産があたるとのことだ。テレビ局がやってきて実況放送を始めた。

私は選別コーナーに並ぶ。これには、5キロと10キロに分かれ、更に玉の大きさや味により、細かく分かれている。皆さん、大きな玉が狙いで、それらは直ぐに売り切れてしまった。売り切れると×の表示が出る。私の前に並んでいる方は、上野原から毎年買いに来ている方。去年までは朝の6時から並んでいたが、今年は、ゆっくりしたとのことだ。

9時30分から列が動き始めた。これでりんごを買える、と思いきや、そうではなくて、ここでは残されたりんごの中から自分の欲しいものを注文するだけだ。その後、今度は実際の販売コーナーへ行き、そこで注文票を出して代金を払うことになっている。その販売コーナーでは、またまた並ばねばならないという、我慢比べのようなりんご祭りだ。ようやく10キロの優を3箱、5キロの優と良3箱を購入する。(Fさんから頼まれたものの含めて)

それらを車に積んでから、福引き会場へ行くと、蕎麦もしくはほうとうの食事券1人前が当たったので、それを食べに行く。三代校舎の大正教室が食堂になっている。

食堂の前でもう1人前のチケット(500円)を買って中に入り、夫婦で蕎麦とほうとうを食べ比べた。

昼からは、高根図書館の横にある「やまびこホール」で「第7回北杜市合唱祭」があるので、それを聴きに出かけた。入場は無料だ。小学生から、年配の方まで、多くの人たちがいろんなコーラスグループに分かれて参加していた。それぞれのグループから特色を生かした楽しい演奏を聴かせてくれた。

敢えて言うなら、「女性合唱団フォンテーヌ」が文句なく聴きごたえのある演奏だった。混成合唱団では「小淵沢エコーコーラス」が良かったかな。何よりも「北杜市・明野少年少女合唱団」の澄んだ美しいハーモニーは実に感動的だった。

皆さん楽しく歌っているのを聴いていると、私たちも歌いたくなってくるというものだ。最後に全員で「ふるさと」を歌うことになったので、思いっきり声を出して歌うと何とも言えない清々しい気持ちになった。

和風創作料理教室と「秋の酵素作り」

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今日は朝から冷たい雨が降っている。「晴耕雨読」よろしく、終日読書とフルート三昧に過ごすことにしよう。
妻は朝から、月1回の和風創作料理教室に行った。皆さんでわいわい楽しく料理を作った後は、それを食べるという、和やかな集まりとのこと

今日のメニューは、左から右まわりに

揚げサバのごまみそ和え、きのこの黒酢煮、柿のゴマチーズオーブン焼き、サツマイモ、ココナッツ干し葡萄のコロッケ、キュウリの仙台漬け、ホウズキ味噌の清まし汁(鴨肉と餅入り)、豆腐のいそべあん、というもの。

それらを少しずつ持ち帰ってきて(汁は除く)、夕食の時に味見をした。柿のゴマチーズオーブン焼きは、見た目に面白く、味もいい。あとはサツマイモ・ココナッツ・干しブドウのコロッケが、不思議な味がした。もう少し沢山食べたくなろうというものである。

家に戻ってくると、今度はFさんと一緒に、「秋の酵素」作りに励んでいる。
使った材料は、果物(リンゴ、柿、ラフランス、ミカン、ユズ、キーウィ)、野菜(ズッキーニ、サツマイモ、ニンジン、ジャガイモ、大根、ショウガ)、豆類(モロッコいんげん、小豆、ウズラ豆、大豆、花豆)、それ以外にもカボチャやクルミも使ったとのこと。

それらを銀杏切りし、樽に入れていく。1K溜まるとその上に1K砂糖をふりかけ、

また切った材料を重ねていくというやりかたで、最後に発酵助成剤を付け加える。この後は適宜かけ混ぜて発酵を促進させていき、発酵し終わるとできあがるとのことだ。

久保田チェンバロ工房を訪ねる

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今日は、10月20日の「ミューズの調べ」コンサートでお世話になった、久保田チェンバロ工房にお礼を兼ねて訪ねることにした。

清里からは、中央道須玉〜八王子JCT〜鶴ケ島JCT〜関越道所沢まで2時間少しの距離だった。思っていたほど時間はかからなかった。久保田チェンバロ工房がある、埼玉県新座市は東京都との県境にあり、あたりは、ぽっかりと長閑な畑が広がっている。

最初に、「ミューズの調べ」コンサートについてお礼を言うと、久保田さんは「大成功でしたね」とおっしゃっておられた。職人さんが忙しく作業をされているなか、丁寧に工房の中をご案内していただく。

久保田さんにお会いして教えていただきたいことが2点あった。1点は、チェンバロのバロックピッチとモダンピッチをスライドさせる機構(トランスポーズ機構)について、第2点は、チェンバロとピアノとの関係、についてだ。

この二つの点については久保田彰著「チェンバロ」のなかで書かれていることだが、それを実際に確かめたかったのだ。

先ず第1点目の「トランスポーズ機構」についてだ。これはいわゆるバロックピッチを現代的にどのようにとらえるか、ということに関係している。

久保田氏の著書では、次のように語られている。
「現代のオーケストラ・ピッチal440hzは20世紀前半に国際会議で定められた規約で、それ以前は各国、地方で異なった基準ピッチで演奏されていました。昔は統一する必要もなく、音楽家は臨機応変、フレキシブルな対応をしていたのでしょう。」バロック時代は、演奏家はある国や町に行けばそこのピッチで演奏するし、他の地方に行けばまた違うピッチで演奏していたらしい。ピッチの違いにかかわらず自らの演奏技術の腕を披露していたと言われている。

「古楽器復元ムーブメントが、現存するオリジナル楽器の精密な寸法測定に基づいて行われるようになったとき、そのピッチの不統一もそのまま再現される事態になって、チェンバロなどの鍵盤楽器は、ピッチの基準設定には不都合な状況がおきました。」要は、ヴァイオリンやフラウトトラヴェルソ、リコーダーなどは、様々なピッチに容易に対応できるが、鍵盤楽器はピッチの違いに直ぐには対応できなかった。

「そこで、古楽器演奏についてはひとつのモデル・ケースとして、バロック楽器は現代ピッチより半音低いal=415hz(にしましょう?)と便宜的に決められました。しかし、これは一種の妥協案であり、一時的には古楽器のスタンダード・ピッチとなるかに思えましたが、研究が進むにつれ、古の音楽がすべて低ピッチではなく、むしろ高い地方、あるいは半音よりも更に低い地域や時期なども認識されるようになりました。」

「現代のチェンバロは故意に付加された鍵盤シフト構造によって、その双方のピッチに対応できるように制作されていますが、その根拠は曖昧であり、オリジナルの厳密な再現という問題に逆行していると言わざるを得ません。」

「個人的にはこのような事態は健康的な考えとは思えず、可能ならば、解消できる方向に向かってほしいと願うものです。」

久保田氏はこの様に、その著書ではっきり述べておられる。実際のチェンバロではどうなっているのだろうか。

右端に「半音上げ下げする空間」が空けられていて、鍵盤は半音分移動することによってモダンピッチと便宜的に設定された「バロックピッチ」を弾き分けることができる。この便利さがオーセンティシティ=真正性に欠けるのだ。

実際に鍵盤を上げて、目の前でシフトしていただいた。私は、ピアノは全てモダンピッチに統合されていて、バロックピッチのピアノなどないですね、というと、久保田氏も、チェンバロもそうあるべきである、とはっきり述べておられた。それが、今のような「トランスポーズ機構」があるというのは、あくまでも、需要と供給の問題であり、更に言えば、それがないチェンバロは実際の市場では買う人が少ないという現実があるからである。もちろん、チェンバロがモダンピッチでモダン楽器として演奏されることにも問題は無いのだ。お聞きすると、こうした付加機構は、故障の原因にもなりやすく、チェンバロのトラブルの90%は「トランスポーズ機構」の誤った使用に起因するとのことであった。今後、歴史的に正当性のあるチェンバロが生まれることを期待したい。

第2点目の「チェンバロとピアノとの関係」について

これについても久保田氏はその著書の中で明快に書いている。

「チェンバロが音楽史の表舞台から消えた理由については、永い間、俗説に支配されていた。ピアノの発明によって、音量的に不利なチェンバロが淘汰されたという説は、以前から教科書や楽器解説書などによって流布されて、いまだに多くの愛好者に、この誤った認識は刷り込まれてしまっている。チェンバロの実践的研究の立場では、衰退の要因は市民革命など社会事情や、音楽の趣味の変化によるもので、ピアノの音量増大傾向は、チェンバロ衰退の時期からかなり後の時代に起きる現象である。この機会に訂正されるべき事項として期待したい。」

言われるとおり、チェンバロはピアノの音量に放逐されたものではなく、身分社会当時の貴族の富の象徴として、第3身分(市民階級)の社会変革の対象となった点、並びに市民が求める音楽が変化したことにあるのである。実際、チェンバロではベートーヴェンのピアノソナタは、演奏不可能であろう。

久保田氏が非凡であるのは、チェンバロとピアノとの関係を、そうした解説だけに終わらずに、実際に初期のピアノはどういうものであったのかの研究を重ね、しかも、当時の設計図を分析して、独力でそれを作り上げた点である。それが「クリストーフォリ・ピアノ」である。それを制作してからも、更にそれより250年も古いアンリ・アルノーの設計図を基にごく初期のピアノの試作品が、工房にあったので見せていただいた。弾いていただくと確かに、ピアノの様に弦を叩いて音が出るのがわかる。これは世界でこれ一つしかないとのことである。

そして、久保田氏制作の「クリストーフォリ・ピアノ」で、ドメニコ・スカルラッティの曲が演奏されたCDも紹介していただいた。聴いてみると、チェンバロの響きに似ているのだがやはり違う。チェンバロではなく、強弱のあるピアノの響きがきこえてくるのだ。


久保田氏は、自ら制作しているチェンバロとピアノを対立する楽器としてとらえるのではなく、次のように語っている「私はクリストーフォリ・アクションによるピアノの制作体験によって、それまで完全に断絶していたチェンバロとピアノの間にある深い溝に一本の橋が架けられたような、自分の意識が双方に自由に行き来できるような充足感を得ることができた。」

久保田氏の心はあくまでも史的事実に忠実で且つ広いのだ。こうした点について素人の私の質問にも誠実に応えていただいたのが嬉しかった。

来月からは広島で「ルドゥーテのバラ展」があり、そこで久保田氏制作のチェンバロが演奏されるので、広島に行くのですよ、と言われていた。実に忙しく日本全国を飛び回っておられるのだ。

 

 

フルート二重奏「プレ演奏会」

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今日は12月8日のフルート二重奏の演奏会本番に向けて、「プレ演奏会」を行った。蓼科のTMTMさん宅に朝10時に集合。野鳥が好きなペンション「銀の森」の奥さんは、早速、ベランダに出てやってきたヤマガラを掌でお出迎えしていた。「どうも見慣れない人だな」と首をかしげるヤマガラ。

観客が4人揃ったところで、私とOhimajiさんは、本番通り演奏することになった。最初に、Duoの名前を紹介する、チラシをOhimajiさんが作ってきてくれて皆さんに披露した。「八ヶ岳ダンディーズ」といきたいところだが、少し恰好がよすぎるので「八ヶ岳ダン爺ーズ」と名乗ることになった。これなら、皆さんに納得していただけるであろう。

全12曲を通して演奏し、聴いていただいた。「ダニーボーイ」と「チリビリビン」がなかなか合わないので苦労した。これは、もう少し練習しなければならない。

その後、しばし休憩タイムで、「銀の森」さんが作ってきてくれた「アップル・パウンド・ケーキ」を食べながら紅茶をいただく。

TMTMさんの奥さんから、ステンドグラスの作り方について話を聞く。下絵を描き、型紙に移し、それで色ガラスを切り抜き、5ミリのテープを張って、ハンダ付けするなど、思っている以上に複雑な作業工程があることが分かった。これは、力作の「ランプシェード」だ。

その後、もう一度練習してからお昼となる。TMTMさんの鳥団子鍋は、熱々で、昆布出汁がきいて実に美味しかった。

食後は女性たちが、付近にハイキングに出かけたあと、強弱やrit入れる練習を重ねた。

それが終わってから、Ohimajiさんから紹介していただいた、近くにある「夢風林」さんを訪ねた。

ここのご主人はなんでも自分で作られる方で、敷地内には色んな建物が建っている。全体は会員制のキャンプ場となっている。

暖房は薪ストーブオンリーというだけあり、所狭しと、薪小屋が並んでいた。あたりが薄暗くなってきたので、そこで一同解散することになった。

 

2×4材のペンキ塗りと新鮮な牡蠣

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朝6時前に西の空に高く、月が煌々と輝いていた。

今日もいい天気なので、昨日、Jマートで買ってきた「薪小屋作成2×4材」のペンキ塗りをしよう。ところが、材料を外に出して作業をやろうとすると、俄かに空がかき曇ってきて、雪が降り始めた、それで、慌ててガレージに材料を運び込んでガレージの中でペンキ塗り作業をする。1面を塗り終え、午前中しばらく乾かしておく。

午後は日差しが出てきたので、まだ十分乾いていないが、材料を外に運び出して他の面を塗る作業をする。

昼からは妻も手伝ってくれた。全部で50本あり、その5面を塗らねばならないので、2時間ほどかかった。やれやれである。

その後、料理教室の先生の所に新鮮な牡蠣が入ったというので、それを貰いに行く。ついでに、Jマートにポリカーボネイトを忘れていたのでそれを取りにいく。

今夜の夕食は、新鮮な牡蠣の酢の物と牡蠣フライだ。久しぶりに実がぷっくらとした牡蠣をたっぷり味わうことができた。妻が陶芸で作った茶碗蒸しの器が早速登場した。

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