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Channel: フルートおじさんの八ヶ岳日記
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薪小屋が完成する

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朝起きると薄らと雪が積もっている。外気温は2度だ。

こんな天気のなか、八ヶ岳の西側からTMTMさんご夫婦にお越しいただいた。今日は、ご主人の指導を受け、私が初めての薪小屋作りに挑戦する日だ。ご婦人方は、午後からフラワーアレンジメントに行くことになっている。

少し休憩していただいた後、早速、薪小屋作りに取り組む。最初に、TMTMさんが画いてくれた5枚の設計図を良く見て、イメージトレーニングをしておこう。

それが済むと、図面をもとに30日に買っておいた材料を現場に運ぶ。薪小屋作をどこに建てるか悩んだが、最終的に家の東側に建てることにした。

90センチ四方に沓石を並べて建設場所を確認した後、土を掘る。

そのあたりは造成地で、まだ木の根っこが回ってきていないので掘りやすかった。

次は砂利入れて突き固める。

それから、水平機でレベル取りだ。これがなかなか厄介なのだが、何度か微調整をしていくうちに、ほぼこれでいいでしょうということになった。午前中の作業は、基礎を作ることで終了する。

昼食を取った午後からは、いよいよ本体の作成に取り掛かる。作成方針は、下段、中断、上段の棚作り、続いて側面作りをして、それらをつなぎ合わせていくというやり方だ。

棚作りは、材料が直角になるように丁寧にジャスティーで測定した後、ドリルで留めていく。下段、中段、上段はほどなくできた。続く側面の方は、大きいので、デッキを使ってやった。こういう場合大きな作業台があると便利なんですよ、とTMTMさん。小さな作業台を2つ作っておくとその上にコンパネを乗せると大きな作業台になるので、何かと重宝するとのこと。

側面ができると、いよいよ、それらを繋ぎ合わせていく。先ず1側面を補助材を使って立てる。反対の側面を私が持って固定して、TMTMさんは、その間に下段の棚を入れる。これがぴったり嵌まった。当たり前のこととは言え、設計図通りに行くと、気持ちがいいものだ。下段を留めた後、中段、上段と留めると、薪小屋の形が出来上がった。

少しぐらぐらするので、何箇所か横木を渡して留めるとぐらつきが無くなって、強固になった。最後にポリカーボネイトの屋根材を留めると完成した。丁度夕暮れが迫ってきた。5時過ぎ、後片付けを済まして全ての作業が終了。あたりは真っ暗になってしまった。

幅900ミリ、奥行き900ミリ、高さ1800ミリの薪小屋だ。これは今ある薪小屋の4分の1の大きさだが、その横にもう一つ同じものを作り、その間に床と屋根を張ると、3倍の薪小屋ができるのですよ、とのことだ。成程、DIYというのは、そういう応用が利くのが面白いところだ。

半分以上はTMTMさんにやっていただき、私は、穴を掘ったり、材料を運んだり、言われたとおりドリルでネジを回しこんだりしただけなのだが、まぁ、なんとか、薪小屋を建てることができた。DIYが苦手な私にも、なんとか大物を作り上げることができたので、喜びはひとしおだ。次回は、是非、自分一人で薪小屋を作りあげるぞという気持ちになってきた。


フラワーアレンジメントと夕食会

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男性陣が薪小屋作りをしている間、女性陣は、フラワーアレンジメント教室に行く。場所は大泉のハーブスタンドさんだ。今回のテーマは「ウィンター・スワッグ」(スワッグ=ドアや壁に架ける花網)

15種類ほどのドライフラワーを使っている。

クマシデ・ナツツバキの枝、ラティフェリア、ユーカリ、イヴニング・プリムローズ(月見草)、ヒペリカム、ローズ・ライラックピンク、ローズ・アプリコット、ラークスパー・ピンク、ラークスパー・ホワイト、アジサイ・ローズブラウン、ミナズキ、
ミニリンゴ、ミニシルバーデージー、スターチス・ライラックホワイトなど

途中でハーブティーをいただき、おしゃべりタイムがあって、5時間ほどかかってようやく完成したとのことだ。

お二人が6時過ぎに帰ってきて、夕食をご一緒に食べる。TMTMさんの奥さんはゴボウの香りがかぐわしい「牛蒡と人参の混ぜご飯」、ボリュームたっぷりだ。

それに、手作りゴマ豆腐と本ワサビ。ゴマ豆腐はきめが細かく、ワサビが効いて美味しい。

それに昨夜から炊いていたおでん。

運転手のTMTMさんには申し訳ないが、薪小屋の完成を祝してビールで乾杯した。DIYの話では、パーゴラやアーチの宿題があるんですよとTMTMさん。その後は、音楽の話、有機野菜作りの話、ドイツ旅行やイタリア旅行の話、八ヶ岳界隈のハイキングの話から冬のスノーシューに行きたいですね、と言った話など、楽しい話題が尽きなかった。来年の再会を約束して、ようやく9時過ぎにお開きとなった。

翌朝、壁に架けた今回の作品

薪割りをやろう

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朝方の雨は直ぐに止んで、いい天気になってきた。午前中は、付近のハイキングコースを1時間ほど歩く。

午後からは、昨日作った薪小屋に薪を積むため、薪割りをやる。家の西側に運んで来た丸太が置きっぱなしになっていたので、それらを割ろう。

薪割りをしばらくやっていなかったので、どうもストライクが上手く入らず、最初は手間取った。そのうちに慣れてくると、作業がはかどってきた。節のある丸太に斧が食い込んでハンマーで叩く。それでも割れないのでチェーンソーで細かく切ってから、ビン頃石のような形に割った。これはこれで意外と火持ちのいい薪になるのだ。やっているうちに汗ばんできた。

4時ごろまでの薪割り作業で、家の西側に乱雑に積んでいた丸太は片付いた。まだまだ割らねばならない丸太は沢山ある。

私が割った薪を新たな薪小屋に運び積み上げるのは妻の役だ。既存の薪小屋からも持ってくるのと合せると、新たな薪小屋はほぼ一杯になった。薪を積むと、あたりに上手く融け込んだ風景が出来上がった。

フルート・ドュオ 「八ヶ岳ダン爺ーズ」デビュー

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 いよいよ、ペンション「ミュー」さんで、フルート・ドュオの演奏会の日がやってきた。今日の午後4時から第3回清里落語会「桂扇生独演会」があり、その前座としてフルート演奏のプログラムを組んでいただいたのだ。

生憎の空模様で、雪の朝になったが、外気温は1度と高い。

 12時過ぎにOhimajiさんがやってきた。「ミュー」さんでの本番前に、予行練習をすることになっている。1時間少しほど練習したが、まだまだ思わぬ音の乱れや、ritのかけ忘れ、などが出てくるので困ったが、おおむね大丈夫だろうということで練習を終える。

2時30分過ぎに「ミュー」さんに到着すると、会場の準備がほとんどできていた。私たちは、もう一度、「ゲネプロ」をやる。3時過ぎにお客さんがやってこられたので、練習を終えることにした。

4時から演奏会が始まった。司会の方の紹介で会場に入り、先ずは、「諸人こぞりて」と「ジングル・ベル」を演奏する。その後、私たちのドュオの自己紹介をさせていただいた。「八ヶ岳ダンディーズ」ではなく「八ヶ岳ダン爺ーズ」です、よろしくと、あくまでも高座のノリで行こう。

続いてイギリス民謡から「ダニー・ボーイ」「グリーンス・リーブス」「アニー・ローリー」の3曲を演奏。簡単な自己紹介などを入れ、続いて「チリビリビン」「リュートのためのシチリアーナ」「オー・ソレミオ」のイタリアの曲を3曲、サイモンとガーファンクルの曲から「スカボロー・フェア」「コンドルは飛んでいく」を演奏。最後にもう一度クリスマスの曲「最初のノエル」「聖夜」を演奏した。


そこで退場しようとすると、驚いたことに、「アンコール」はと求められたが、用意をしていなかったのでご勘弁していただいた。やはり、「アンコール用に1曲か2曲」ぐらいは用意をしておくべきだったかな。

自分で言うもなんだが、今回は、ほとんど上がることもなく、落ち着いて演奏することができた。本番の緊張感が上手く働いて、一番いい演奏になったような気がする。

桂扇師匠の高座が始まる前に、お客さんがたは、「ミュー」さんが用意した飲み物とサンドイッチ・ケーキをいただき、交流を深めていた。ワインも出されてきて、「ワンドリンク付き」とのことだったが、ボリュームたっぷりだ。

桂扇生師匠の話は2題。最初は、「さいころばくち」の話。壺に入れたさいころの目を当てるばくちだが、親が、壺から出てしまったさいころの「ピン」の目が見えているにも関わらず「勝負!」というので、皆は、その見えている「ピン」に張る。ところが、それは、見せ掛けで壺の中は「グ=5」で、皆が負けてしまった。それを、真似する者がいて、同じようにやると、今度は、壺の中も本当の「ピン」だったので、負けてしまうという話。

2題目は、酒をやめたくて止められない酒飲みの話。魚売り屋は腕がいいのだが、酒が好きでなかなかやめられない。妻は、昨夜飲み過ぎた夫をたたき起こして、朝早くから商いに行かせる。夫は、まだ時間が早いので、海を見ながら一服していると、海に浮かんでいる財布を見つける。中を開けてみると42両もの大金が入っていた。それに喜んだ夫は、直ぐ家に戻り、「俺はついているな、酒だ酒」といって、またまた飲み過ぎて寝てしまう。

翌朝、妻に起こされて、商いに出るよう言われると、夫は「あの金があるから働かなくてもいいだよ」という。妻は「何を夢見ているんだよ」と叱責する。夫は、あれは夢だったのかと思って、それから、人が変わった様に働きだした。表通りに店を構え使用人もいるほど繁盛してきたある年の大晦日、妻は夫に、42両入りの財布を見せて、夫に隠していたということを謝るという筋。笑いとほろりとさせる人情味のある話だった。(有名な「芝浜」でした。)

桂扇生師匠は、博打で儲かると思ったときの喜びよう、煙草の一服や酒の飲みっぷり、大金を拾った時の笑顔などの表情が実に豊かで楽しい。生で高座の味わいを堪能させていただいた。来年の「第4回清里落語会」も決まっている。笑顔で帰って行かれるお客さんを見ていると、人の心を豊かに暖かくする「笑い」の持つ力を感じさせられた。

高座が終わってから、Ohimajiさんに拙宅に戻っていただいて、反省会を行う。今夜の食事は、必殺「お好み焼き」、それが焼けるまでの間、先ずは、熱々の「豚まん」を食べていただく。食べながら、今夜の演奏は、まぁまぁのできだたことを喜ぶ。丁度お好み焼きが焼けてきた。

これからも機会を見つけて「八ヶ岳ダン爺ーズ」や音楽仲間で演奏会をやりましょうか、ヘンデルのフルートソナタ第9番の二重奏もやりたいな(アルテ教則本30課にある)などの話。リンゴのまとめ買い、料理の話など、色々楽しい話で盛り上がり、ようやく10時ころお開きになった。

寒い日は薪割りで暖まろう

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今日はいい天気になったが、冬型の気圧配置が強まったため、冷え込みがきつい。朝食後いつものハイキングコースを歩くと、南アルプスには深い雪雲がかかっている。

畑の小川にはつららが掛かっている。

デッキの前にかけていた小鳥の巣箱に、シジュウカラがやってきて入ったり出たりと忙しくしている。この家が気に入ってくれればいいのだが。

昼からは、庭に出でる。まだあちらこちらに雪が解けずに残っている。

薪割りをやった。重い斧をしばらく振り降ろしていると、だんだん身体が暖まってきた。運動不足を解消するのにも、なかなかいいスポーツにもなる。一石二鳥だ。薪ストーブは、薪を割って暖まり、ストーブで燃やして暖まり、薪が燃える炎を見て心が暖まると言われている。成程成程。

その後は、部屋の中でフルート練習をやる。アルテ24課ターンのNO3の練習曲をなんとか仕上げたいと思っているのだが、どうも慌てていけない。トリルの終結部を入れるのも上手く決まらないのが悩みだ。その後、バッハフルートソナタBWV1033のAndante〜Allegroと「ハンガリー田園幻想曲」Molto Andanteを吹いて楽しんだ。

フルート・陶芸・干し柿・まんじゅう

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今日は夜明け前には満点の星が輝いていた。いい天気になったので冷え込みが厳しい。外気温はマイナス8度まで下がったきた。
朝日に紅く染まってきた八ヶ岳が美しい。

赤岳は燃えるようだ。

朝の間は、昼からのレッスンに向けフルートの練習をする。アルテの練習が終わってから、有田正弘の演奏でよく聴いているコレッリの「ラ・フォリア」を吹いてみたくなった。インターネットでダウンロードした楽譜はヴァイオリンのものだが、試しに吹いてみると下手なりに十分楽しむことができた。

妻は、先日から軒につるしていた干し柿が、そろそろ頃あいになってきたので、採り入れる。それを藁に入れて寒風にさらすを、白い粉が吹いて更に美味しくなるそうだ。

それが終わると、薄皮まんじゅう作りをやりだした。

中に甘〜い粒餡が入っている。今回は上手くできたと納得していた。

昼からは、「チャミタクハウス」で今年最後のフルートレッスンである。長い間やってきたアルテ24課のターン練習。NO3の練習曲だが、トリルの終結部の入れ方、ターンを慌てずにきっちりと吹く、音楽性を忘れずにクレッシェンド等をかけるなど、チェックを受ける。最後の鈴木先生との二重奏もまずまずの仕上がりで、一応「○」を貰うことができた。やれやれである。
続いて、25課のハイドンのソナタを一通り吹いていただいた。来年へむけての宿題だ。
練習が終わるとトム君が出てきた。「ママ」「耳」などを大きな声でいいながらニコニコしている。

妻の陶芸作品が出来上がってきた。一つは香炉、ろうそくの上に茶葉などを入れて香りを楽しもう。

 

 もう一つは薬味入れ、直径5センチ、高さ8センチぐらい、色はくろがけとビードロだ。余った土を使ってお猪口も出来上がっている。

今日は「12・12・12」という珍しい日だ。

 

「古楽とは何か」(ニコラウス・アーノンクール)

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 先日、バイエルン放送交響楽団が京都コンサートホールで、ヤンソンス指揮の「運命」を演奏した。私は「運命」が好きなので特になんとも思わなかったが、アーノンクールの問題意識はこういったことに疑問を呈することから始まる。今日の演奏会のプログラムにおいては、演奏曲目が限りなく少なくなってきている、はたしてこれでいいのだろうか、今日の音楽は力を失ってしまっている、人々の生活からかけ離れてしまっているのではないか、ということである。

「中世からフランス革命に至るまで、音楽は文化や人生の大黒柱の一つだった。音楽を理解することは一般教養に属していたのである。今日では音楽は、オペラや演奏会に行くことで虚しい夕べを飾り、…ラジオによって家庭での静寂の淋しさを追い払ったり活気づけたりするための、単なる装飾と化してしまっている。したがって今日われわれは、量的にはかつてよりはるかに多くの音楽を、それもまさにほとんど切れ目なしに所有していながら、音楽は人生にはほとんど何の意味ももたず、ちっぽけな装飾につぎないという、矛盾に満ちた状況が生じたのである。」

「音楽がもはや人生の中心に存在しなくなってから、すべてが変わった。装飾としての音楽は先ず第一にあらねばならない。…美しさというのは音楽の単なる一つの要素にすぎない、人々の暮らしには、醜い面や辛いところもあるが、それらから逃げようとうしているのが今日の音楽だ。

もう一度、モンティヴェルディやバッハ、モーツァルトの音楽をただ美しさを求めることから越えて、全体として理解することにより、それらの音楽がもつ力とメッセージに身をゆだねようではないか」と。

以下、成程と思った文章を、書き記しておくことにする。

《音組織と音程法》

「我々は、音程法のシステムを全ての人の基準とすることはできない、…われわれにとって純正なものは他の人にとっては間違いであるということもあるのである。…われわれは聴覚を多くの場合ピアノの平均律に即して訓練してきた。この調律法においては、十二の半音はすべて、厳密に等しい間隔で調律されている。…そこでもし耳にこのシステムをもったまま、別のシステムに従って音程づけられた音楽を聴くならば、それは間違って演奏されたような印象を受けることになる。」

…ピアノでク訓練された「絶対音感」は演奏家にとっては、障害になるということか。

《古楽器は是か非か》

「ベーム式フルートの響きの理想から見れば、オットテールのフルートは、さまざまな音が均質に響かないから悪い楽器であるし、一鍵式フルートの側から見れば、ベーム式フルートは全ての音が画一的に響くから悪い楽器であるともいえるのである。

楽器を選択する際に決定的な意味を持つ問題は、客観的なクオリティである。現代楽器で演奏するべきか、古楽器で演奏するべきか、という問題のほかに、そもそも楽器とは何か、ということも問われなばならない。

一時的な古楽器ブームの結果として、数多くの多少とも美しく仕上げられた六穴ないし八穴の木管が、たとえその響きが常に適切でなくても、などともてはやされて使用するようなことがあってはならない。われわれは常に、聴覚や趣味を審判官として、最良のものにのみ満足をすべきなのである。」


「モーツァルトにはモンティヴェルディと同様の原理が見受けられる。モーツァルトにとって重要だったのは常にドラマであり、対話であり、個々の言葉であり、衝突とその解決であり、雰囲気全体を象徴するポエジーではなかった。

モーツァルト以降の世代になると、対話的・言語的な要素はだんだんと音楽から失われていった。その理由はフランス革命およびそれの文化面に引き起こした変化にある。…聴き手はそれ以降もはや対話の相手ではなくなり、響きから刺激を受け陶酔する享受者へと変えられたのだった。私が、考えるに、革命前の音楽をわれわれがまったく理解できない理由はそこにあるのだ。」

「音楽は対話」だとの観点から、アーノンクールは、極論して、今日のクラッシク音楽の「衰退」の原因をフランス革命に求めている。果たして今日の私たちは、彼が言う様に「革命前の音楽を全く理解できない」のであろうか。18,19世紀の音楽に慣れ親しんできた一人として、17、16世紀あるいはそれ以前の音楽とどのように向かいあって行くべきなのであろうか。

かつて受験勉強で齧ったフランス革命の歴史に改めて興味が湧いてきた。

今日もアダージョの森は静かな夕暮れを迎えた。

冬の一日

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今日もいい天気になった。外気温はマイナス8度。朝食後、いつもの散歩コースを歩く。八ヶ岳は薄い雲のヴェールがかかった青空を背景に一段と白さを増している。

南アルプスも美しい。

向こうの村からは、煙が立ち上っている。長閑な山里の風景だ。

葉を全て落としたコナラの巨木が、堂々と天を突いている。

1時間ほど歩いて部屋に戻って来る。日課のフルートの練習をしておこう。今日からアルテは25課だ。ハイドン(1732〜1809)のソナタは、明るく優雅だ。その当時はどんな所でこの曲は吹かれていたのだろうか、と想像してみる。

午後からは、妻はまたまた、豚まんと饅頭を作り始めた。私は庭に出て、薪の丸太作りをする。その後、庭中に散らばっている丸太を、先日の薪割りで空間ができた、家の西側の薪置き場に運んだ。この作業は4時までかかった。

アダージョの森には今日も静かない夕暮れがやってきた。

日が落ちてから、地元のAさん宅に年末のご挨拶に伺う。丁度寄り合いが終わって、皆さんが帰り始めていたところだった。津金のリンゴを頂戴しながら、水抜きや井戸など、笑い声の混じる会話を楽しいんだ後お暇した。


年の暮れは、やはり忘年会

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大阪に戻って来て、友人との忘年会が続く。

まずは山の会の忘年会。名物の京風おでんに舌鼓を打ちながら、来年の山行計画の話が進む。

日本百名山登頂残すところ数山になったメンバーから、屋久島宮之浦岳に登ろうと言う提案が出された。5月のベストシーズンがいいらしい。全行程は6日ほどかかる。鹿児島まで車で往復するルート、時間がかかるが一番安く行けて、天候が悪くなった場合、日程の変更もできるのがいい。果たしてそんな体力があるかな、などいいながら美味しい板蕎麦で締める。

続いては、大学の博士課程で学んでいる二人の友人との「三酔人経綸問答」。名物串カツを頬張ろう。

最近体調を崩していた一人が、無事に癒えて、その快癒祝いだ。博士論文の話を聞くと、読んでいる本も書いていることも、難しくて当方にはさっぽリ分からなかった。道頓堀も久しぶりだ。

その翌日は、イルミネーションで飾られた心斎橋に出る。2013年の手帳と新潮社の「マイブック 2013年の記録」を買う。ヤマハに入って、フルートの楽譜を片っ端から読む。吹いてみたい曲が沢山あるので困るものの、楽譜を買うのを我慢した。その後、以前通っていたフルートオーケストラのメンバー3人と落ち合う。フルート中心の楽しい会話で旧交を温めた。

 

紫の上が逝く 林望「謹訳 源氏物語 七」

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第七巻は「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」の六帖である。

源氏の幼馴染で友人の柏木=前太政大臣の(亡妻 葵上の兄)の腹違いの息子、と源氏だいの正妻の地位にある女三宮との間に不義密通の若君が生まれ、源氏の懊悩が深まる。そのことに悩み抜いた柏木は、病にかかり、若くしてこの世を去る。女三宮は、出家する。

源氏の息子=左大将は、柏木がいつも持ち歩いていた横笛を一条御息所(柏木の妻=落葉の宮の母)から貰い受ける。これは、もとは陽成院もので、式部卿の宮が秘蔵していたが、柏木が子供の時から素晴らし音色で笛を吹いたので、贈り物として柏木に授けられた由緒のある横笛である。左大将は、その名笛で「盤渉調」(ばんしきちょう)の小手調べの小曲を吹く。

「横笛の調べはことにかはらぬを
             むなしくなりし音こそ尽きせね」

(この横笛の調べは、なにも昔と変わったこともございませんが、亡くなられたあの君の吹く音はもう聞くことができず、わが泣く音ばかりは尽きせぬことでございます。)

その後、左大将が夕霧と呼ばれて、落葉の宮に言い寄る。最後は妻として迎えるなど、色好みで若いころの源氏を彷彿させる。

最愛の紫上が、四年前、命にかかわる大患に苦しんだがその後小康をたもったものの、またも体調を崩し、懸命の加持祈祷が行われる。14歳のときに源氏に嫁いできた紫の上には子供がなかった。正妻としての扱いがされないものの、美貌、穏やかな人柄、知性と教養で抜きんでている。

逝くものと送るものの歌のやり取りが、悲しくも美しい。

源氏の歌
「ややもせば消えをあらそう露の世に
             後れ先立つほど経ずもがな」

(ややもすると、みな無常の世に、誰が先立かを争っている露のような世の中に、
そなたとはいずれが先か後かわからぬけれど、いずれ間をおかず一緒に消えてゆきたいものだね)

紫の上の最後の歌
「おくと見るほどぞはかなき
             ともすれば風に乱るる萩の上露」

秋の日の、ほのぼのと夜が明けてくる時、紫上の命は消え果てる。源氏はその後の一年は紫上のことばかり考えて暮らす。師走には、昔須磨にいたときに紫上から貰った手紙を全て焼き捨てさせ、出家の意思を固める。

雨の御堂筋でB級グルメ会

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 今日は、夕方から、恒例の「B級グルメ会」がるので出かける。
生憎途中から冷たい雨が降り始めた。落合場所の淀屋橋に出てくると、かなり強い雨が降っている。御堂筋のイルミネーションが雨の歩道に反射して、これはこれで、いい感じになっていた。

そういえば、ずっと前に ♪こぬか雨降る御堂筋♪ というような歌があったな。

雨の中をしばらく肥後橋方面に歩いたところに、今夜の店があった。そんなに広くはない店だ。この店の売りは食べ放題の「蒸し豚」。せいろの上に野菜を載せ、その上に豚肉を乗せて、下から蒸して食べる。あっさりしているので、いくらでも食べたくなってくるのがいい。

飲み放題・食べ放題なので、せいろのお代りや、焼酎のお湯割りをどんどんやろう。思いっきり飲んで食べてもなんと、3000円なのだ。驚きの価格である。
今夜集まったのは、この秋に清里の煙突掃除を手伝ってくれたメンバーだ。確かに、奇麗に煙突を掃除してくれたので、薪ストーブの火付き、燃え上がり方、弱火にしてからの燃焼時間の長さなどがよくなったような気がする。

今年一年のいろんなことをあれやこれや話しながら、「来年もまた煙突掃除に行きましょう」と言ってくれたのが嬉しかった。

この店の面白いのは、せいろの下の鍋には出汁が入っていて、せいろを食べ終わった後、その出汁でラーメンを作るということだ。そのラーメンが「締め」にはぴったりで、満ち足りたお腹と「適度な酔い」が回ってきた頃お開きとなった。

ご近所忘年会

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 今日は、ご近所の方々との忘年会だ。集まったのは、50代後半〜70台前半の元気な「元若者」達4夫婦8名。ご婦人がたは昨年清里の拙宅までお越しいただいた方々。ご主人方ともガーデン・バーベキューやカラオケに行ったりしている間柄だ。

会場は、家からは少し離れたとある創作料理の店。あまり大きくない店なので、他に一組の客が入って、今夜は貸し切りとのこと。

フィーリングカップル4対4で座ろうとしたら、いつも逢っている人が正面に座るのはいかがなものか、ということで、席を入れ替えてから乾杯に移る。残念なことに女性陣が運転手となっているので、それに合わせて、女性の皆さんはお酒を飲まずに、お茶で乾杯した。

 

それでも、あたかも酔いが回った人たちのごとく、声高らかな談笑が続く。こういう場では男は少し寡黙なるのはいたし方がない。何と言っても先ずはご近所のホットニュースで、どこそこに建った新しい家の話。
その後は、定番の孫の話。孫が来なければ、如何に平安で且つ経済的か。それが終わると、もちろん健康とダイエットの話が続く。こんなところに来てワイワイ言えるのも健康であるからこそであるが、ダイエットが進むのはかなり難しいであろう。

それがひとしきり盛り上がると、趣味の話に移る。
貸農園をされている方の冬の農作業の話。これは是非とも耳を傾ける必要がある。というのは、やっている方は「よくぞきいてくれた」と目を輝かし、育てている野菜を片端から指折り数えるのである。冬野菜がずらっと並んで、みなさん「フムフム」。

あるいは書道を習い始めた方の苦労話、水墨画をやってられる方は、いずまいを正して「個展をやりましてね」というと、一同「へー」と驚く。私のフルートは、形に残すことができないので説明のしようがない。未だ止めずに続けている、ということだけはお伝えした。

会がそろそろ終わりかけの頃、「この忘年会だけを楽しみにしてきた」とのつぶやきが漏れると、それなら、去年のように、またご一緒に旅行に行きましょうか、ということになった。それも話だけではなく、私たちの日程に合わせますよ、ということになり、早速来年の旅行日程の検討が始まった、これで「生活の目標ができた」と喜びあったところで、会はお開きとなった。

師走は、「合唱」を聴こう

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 年の瀬になると、大掃除や忘年会もさることながら、やはりベートーヴェンの「第九」を聴きたくなってくるものだ。そんなことをつぶやいていると、「第九」の演奏会に合唱で出演するする方がいて、よろしかったらお越しになりませんか、という運びになった。

少し前の話だったのが、いよいよ、今日、その演奏会を迎えた。場所は福島のシンフォニーホール、時間は19時開演。

折角、梅田近辺に出かけるので、昼過ぎに家を出る。妻は伊勢丹でゆっくりウィンドウショッピングをしたいというので、梅田で2時間ほど別行動を取る。私は、早速ヨドバシカメラに行こう。

私のような旧来の携帯は「ガラパゴス携帯」と呼ばれているらしいが、スマートフォーンに代えるとどうなるか話を聞く。色々あるが、機種代70000円ほど、月々の使用料金が6000円超になるらしい。要は外出中もインターネットができるのがメリットだが、ほとんど外出しない私には、それだけのコストをかける価値がどう考えてもないので、今回は見合わせることにする。そのうちに、料金が下がってくるのを待とう。

パソコンはどうか、今使っているDELLのノートパソコンの躯体にガタがきていて、そのうち壊れるという不安が付きまとっている。windows8になったということもあり、新しいのが欲しくなった。売り場を見ると、ASUSのS56CMが値段も安くいいかな。デスクトップではMacの一体型の新しい機種(iMac MD093J/A)が、何ともいえずお洒落なのが気になる。

その後、夕食を済ませて、JR福島駅へ。開演15分前に会場のシンフォニーホールに到着。

演奏会は1部と2部に分かれている。1部は、福田祥子ソプラノ、角田和弘テノールでプッチーニの「蝶々夫人」より、有名なアリアの演奏があった。「合唱」の前に、歌曲を聴いたのは初めてで、非常に楽しい前菜だった。この二人は「合唱」でも独唱した。

いよいよ待ちに待った「合唱」が始まった。第1楽章の、神秘的で力強い動機、軽快な第2楽章は管楽器の躍動が楽しい。一転して、天国を思わせる第3楽章の静かで美しい旋律。それが、終わるといよいよ第4楽章だ。喜びの歌が、コントラバス〜実に美しいヴァイオリンに移り、力強いトゥッティとなる。

バリトンが「友よ、この調べではなく、声を合わせて歓喜に満ちた調べを歌おう!」と呼びかけると、満を持していた総勢210名の合唱が始まった。この場面はいくら聴いても鳥肌が立つ。その後の男声合唱の荘厳さ、女声合唱の清澄さ、怒涛のフィナーレ。

現田茂夫(ソプラノの佐藤しのぶの夫)の指揮は、きびきびしていて大きく、見ていても美しかった。オーケストラもよくまとまっていた。(管楽器にやや不満を残したが)鳴りやまぬ拍手に応えた、「蛍の光」のアンコールが、胸にしみる美しさだった。

「合唱」はやはりいい、来年もまた聴きに行こう。

 

カレル・チャペク「園芸家の一年」

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チェコの作家であり、ジャーナリストのカレル・チャペック(1890〜1938)、「ロボット」という言葉を作った。彼は、熱心な園芸家としても知られ、300種以上の植物を庭で育てていた。この本は、園芸家としてのカレル・チャペックの1年=12カ月を、ひと月ごとに、章を立てて、園芸作業などを軽妙に面白く綴っている。

例えば、

1月 園芸家は石のように固く生気を失った土地の中で凍えている根っこのこと、乾いて氷のように冷たい風に骨の髄まで吹きつけられている枝のこと、秋に植物が自分の全財産をしまい込んだ凍りついている蕾のことを思う。

3月 蕾が開き芽が出てくるのは、そのときが満ち、自然の法則にかなったからだ。そこで謙虚に人間の無力さを悟る。「忍耐こそ智恵の母」ということが理解できる。

4月 芽吹きだけではなく、植え付けの月でもある。やがてある日のこと170本もの苗や苗木が我が家に集合し、土の中に植え込んでくれと望む。その瞬間になって園芸家は、自分の庭をしげしげと見わたし、植える場所がどこにもなかったことを知り、たちまち心を沈ませる。

5月 ロックガーデンに高山植物を咲かせることの喜び、美しさ。恵みの雨。

12月 「園芸家の生き方」

  私たち園芸家は未来に対してい生きている。バラが咲くと来年はもっとよく咲くだろうと考える。そして10年後にはこのトウヒの若木が1人前の成木になるだろう。その10年が過去のものになってくれさえしたら。50年後にはこのシラカバの木々がどんなになっているか早く見たいものだ。
真正の最善のものは私たちの前方、未来にある。これからの1年、また1年は成長と美を加えていく。
神様のおかげで、有難いことに私たちはまたもう1年未来に進むのだ。

カレル・チャペックはドイツのゲシュタポから狙われていた。新聞で共同作業をしていた兄は、ナチスの強制収容所で亡くなり、ゲシュタポが自宅に踏み込んだときには、既に彼は、その生涯を終えていた。

初詣で般若湯を楽しむ

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明けましておめでとうございます。

今年も箱根駅伝から目が離せない正月だった。予選会から勝ち上がった日本体育大学が、往路優勝した。砂埃舞う強風をものともせず、箱根を駆け上がった5区服部が素晴らしかった。日体大は、復路は一度も首位を譲らず、2位の東洋大を5分近く引き離して優勝した。

それにしても、5区の山登りでのデッドヒートを制することが優勝につながるという流れだ。柏原のいない東洋大は敗れた。日体大は、昨年19位に落ちた時、キャプテンは3年生を差し置いて2年生から出すとした別府監督の指導により、選手の意識ががらっと変わった。悔しさをバネにして、「ぬるま湯」意識改革を具体的な形に現したことが勝利につながったと言える。5位早稲田の渡辺監督は「いつも4、5位で甘んじていたら優勝はできない、また0からスタートする」と涙声で語っていた。

箱根駅伝の流れが分かってきたのを見届けて、初詣に出かける。明るい日差しがあるものの、風が強く寒い。今年は、西国三十三箇所 第五番札所「紫雲山 葛井寺」にお参りしよう。

参拝客はそれほど多くないので、境内は静かだ。家内の安全、健康を祈る。お参りを済ますと「般若湯」(仏教ではお酒のことを般若湯という。)が置かれていたので、柄杓で掬って味わう。酒は、地元藤井寺で90年続く酒蔵「藤本雅一酒造醸」の「松花鶴」。あっさりした飲み口だった。

寺の正面を南に歩いていくと、このお酒を作っている「藤本雅一酒造醸」の長い酒蔵と板塀が続いている風情のある道に続いていた。


 


当麻寺まで新春ハイキング

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 今日は、ご近所のNさんご夫婦から、ご一緒しませんかとお誘いを受け、二上山の東側、当麻寺周辺にハイキングに出かけた。我が家から車で30分ほどのところなので、出発は昼からになった。

当麻寺の直ぐ近くに「ふたかみパーク 當麻」という道の駅があるので、立ち寄る。そこを起点に、花で有名な石光寺(関西花の寺第20番)を経て、

当麻寺に着いた。

本堂から、奥の院へ抜ける道の右側には少し風変わりな寺があった。

當麻寺は、西方極楽浄土の様子を表した「当麻曼荼羅」の信仰と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる古寺である。前身の寺は、聖徳太子の異母弟の麻呂子王によって建立され、その後壬申の乱に功績のあった当麻国見によって7世紀末頃に建立された氏寺とされている。

境内から二上山を望む。

仁王門を通り、

日本最古の街道「竹内街道」を目指す。「竹内街道」は古来より交通の要衡であり、江戸時代以降は伊勢参りや、大峰参詣の人で賑わった街道でもある。

古びた家並みが保存されていて、中ほどには、竹之内集落出身の松尾芭蕉の門人の千里(ちり)にちなんだ、「綿引塚」がある。芭蕉もこの地に何度か訪れ句を詠んでいる。

「野ざらし紀行」の『綿引や 琵琶になぐさむ 竹の奥』という句はここで詠まれたもの、との説明があった。

そこから、近鉄電車の「当麻寺駅」まで歩き、元の「ふたかみパーク 當麻」に戻ってきた。

林望「謹訳 源氏物語 八」を読み終える

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この第8巻では、源氏が亡くなり、一挙に6、7年の月日が流れた。この展開には「あれっ」と思ってしまった。これからの物語は、源氏の息子たちの話しに舞台が変わることになる。息子薫は14歳、友人の「匂兵部卿」(今上帝の弟、三の宮)の話から始まる。二人は、衣服に香を焚き染め、人も驚くほどのいい香りをあたりに放っている。

 

「橋姫」からは、言われるところの「宇治10帖」の物語だ。薫は既に20歳になり、宰相の中将になってい。宇治に宮廷社会から忘れられている八の宮(桐壺帝の八の宮)と呼ばれる宮様がいて、世間とは隔絶した奥山で仏に帰依した暮らしを送っている。宮には、姉は大君、妹は中君と呼ばれる二人の美しい娘がいた。

仏の道に関心を持っていた薫は、宇治八の宮の清らかな暮らしに興味を覚え、ある日宇治を訪ね、二人の姉妹出会う。姉妹のことを友達の匂兵部卿に話し、いつしか二人で宇治に通うことになる。

薫中将は、姉の大君、匂兵部卿は妹の中君に心を寄せるようになる。そんなある日、二人の姫のそばに仕える老女から、薫は自分の出生の秘密(母親女三宮と柏木の不義の子)を聞かされて愕然とする。

八の宮は、山にこもって勤行の日々を送っているが、病にかかり、二人の娘を残して亡くなってしまう。

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど
    きのふけふとはおもわざりしお」(「椎本」)

最後の章は「総角」、これを「あげまき」と読むのは知らなかった。飾り結びの一つで、四っつ結び目が美しい結び方だ。

「あげまきに長き契りをむすびこめ
       おなじ所によりもあはなむ」

姉妹と薫、匂兵部卿とのやりとりが、いつ終わるともしれないほど続く展開に少しうんざりさせられたが、驚いたことに、大君も病に倒れ、亡くなってしまった。一人残された中君はどうなるのか、というところで「総角」の章が終わる。恋の会話はほとんど歌のやり取りで進められるという、平安貴族の優雅さにはただただ、「フムフム」と頷かざるを得ない。

「林望 謹訳源氏 九」の刊行は2013年2月4日となっているので、しばらくは源氏物語と離れることになる。


 

雪の地道を走り、清里へ

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 年末年始を大阪でゆっくり過ごしていたので、八ヶ岳が恋しくなってきた。3連休の最後の日に、八ヶ岳に戻ることにする。
朝から、強い雨が降っていて、日本列島の東にある低気圧が発達しながら北上するとの天気予報だ。直前の道路情報をチェックすると、中津川ICから上野原までチェーン規制がかかっている。チェーン規制なら、スタッドレスを履いているので、まぁ、問題はないかと思い、出発した。

ところが、西名阪を走っていると、「名阪国道が通行止め」の表示が出た。これはいけないと、天理の手前で下りて、名神高速を通ることにする。京奈和道〜京滋バイパスを通り名神へ。心配した関ヶ原は、全く雪もなく、問題はなかった。安心していると、名古屋の手前で、中央道の中津川IC〜上野原間が通行止めになったのは驚いた。とりあえず、恵那SAで情報を収集する。地道のR19は動いているという情報なので、中津川ICからはR19を走る。

最初はほとんど雪がなかったが、次第に雪が降り出し、道路も着雪してきた。1時間30分ほど走った奈良井宿の有名な「奈良井木曽大橋」はすっぽり雪に覆われていた。

その後、次第に車の流れが悪くなり、塩尻の手前では、除雪車なども間にに入ってきたりして、大渋滞になってきた。5時頃に塩尻に着くと、街の中はのろのろ運転でほとんど進まない。そこから道はR20になる。諏訪に入るとすっかり雪道に変わった。これでは、何時に清里に着くかわからないので、途中のスーパーでおにぎりやサンドイッチを買う。雪かきスコップも買っておこうとすると、大型のスコップはすべて売り切れていた。とりあえず、小さなスコップを買う。R20も、車の列でなかなか進まない。ようやく「国界ラーメン」の角に着いた。そこからから小淵沢へ抜けていこう。真っ暗で全く車が走っていない雪道を登り切ると小淵沢ICに着いた。ここまでくれば、道が分かっているので、ようやくほっとする。9時ごろに清里の我が家近くまで来たが、進入路は50センチを越す雪で覆われていて、道と畑の区別もつかない。真っ暗で星が煌めいていたが、時折ものすごい風が吹いて雪を巻きあげている。

これでは、いかんともしがたいので、年末にフルート演奏会をしたペンション「ミュー」さんに電話して、宿泊をお願いする。「部屋は空いていますよ」ということなので、ホッとした。暖かい部屋に案内され、お風呂にはいって温もった後、ビールで乾杯した。ひと月ぶりの清里行きは、なんとも手荒い歓迎にあった。

翌朝は、すっかり晴れて気持ちのいい青空が広がっている。ミューさんのダイニングルームには、大正時代の作品という大きな雛人形が飾られていた。

朝食は、肉厚の笹カレイの干物、ヒジキやレンコンの煮物、紅米、具沢山の味噌汁などなど、このペンションの料理は、本当に美味しい。

 

雪の我が家に到着

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 今日はびっくりするほどの晴天になった。一面の銀世界はまぶしくて目を開けて居られないほどだ。ペンション「ミュー」さんを出て、北甲斐亭まで来る。国道は除雪されているので通行には問題はなかった。除雪といっても雪が均されているだけで、道は全くの雪道だ。しかし、我が家への進入路は除雪されていないので、車は入ることができない。とりあえず、車を北甲斐亭において置き、雪道を歩いて我が家を目指す。

風の吹き溜まりの所など、膝上ぐらいまで積もっていて歩くのに不自由した。ようやく家に到着して、

とりあえず、薪ストーブに火を入れ、コーヒーを沸かす。コーヒーを啜りながら、前後策を考える。よく見ると、もう1本の道には除雪された跡があるので、その道なら車で家の下まで入ってくることができるのが分かった。

しかし、そこまででも雪道は50メートルほど歩かなければならない。まずは、スコップで雪かきをして、歩道を作ろう。それができると、車を回してきて、荷物を下ろす。食糧と軽い荷物をとりあえず家に運ぶ上げることにする。荷物を持って数回往復すると、かなりばててしまった。

最後に車を方向転換しようとすると、ドカンと水路に嵌まってしまった。雪で覆われていたので見た目には水路があるのはわからなかったのだ。幸いにも4輪駆動のおかげで何とか脱出することができてほっとする。車は道路際においておくことにする。

部屋に戻って寛いでいると、南アルプスの空が驚くほどの赤さに染まってきた。その美しさに、ただ、呆然と眺めいるだけだ。

料理教室新年会とボイラーの補修

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 今日もいい天気になった。一面の白銀の世界は目にまぶしい。

たっぷりと雪が積もっているので歩くのも一苦労だ。

昨夜、お風呂を沸かそうと灯油ボイラーのスイッチを入れたところ、途中で火が消えてしまった。雪に閉ざされた世界で、お湯が使えないと生活できないので、朝から業者に連絡を入れる。昼過ぎに補修にやってきてくれることになった。

妻は、料理教室の新年会があるというので、メンバーの一人であるペンション「ミュー」さんまで送っていく。女性ばかり10人の新年会は、料理教室の先生がお一人で料理を用意されたとのことだ。

先生宅は古民家を改築した味のあるお宅で、囲炉裏には練炭がいこっている。

2時過ぎにボイラーの補修業者がやってきた。申し訳ないが車を畑の下に留め、歩いて家まで登ってきていただいた。早速、ボイラーを見てもらう。どうもフィルターが詰まっているようですね、とのこと。

「ボイラーのフィルター」の話は知らなかったので、どんな作業か側で見ておくことにする。最初に、水の流入パイプのバルブを閉じたあと、パイプに巻いているテープを切り、発泡スチロールの保温材をはがす。次に金属製の蓋があるのでそのネジを外して蓋を開ける。その中にある5センチほどの金属の網でできたフィルターを抜きだす。設置してから今までフィルター掃除をやったことがなかったので、取りだすのに少し苦労していた。フィルターは完全に目詰まりしているのがわかった。そのフィルターをワイヤーブラシでこすると、確かに奇麗な網目が出てきた。「これで大丈夫です。ボイラーのスイッチを入れ湯を出して下さい」というので、やってみると、成程、見違えるほど勢いよくお湯が出てきた。その後、灯油タンクの水抜きも一緒にやってもらった。屋根があるので、灯油タンクには水がたまっていません、ということだった。1時間もかからない作業だったが、これで一安心だ。

そうこうしているうちに、料理教室新年会に行っていた妻が、「ミュー」さんに近くまで送っていただいたので、迎えに行く。その帰りに、地元のAさん宅へに伺う。「大雪の日にこちらに戻ってきました。今年もよろしくお願いします」と新年の挨拶をする。これだけの雪は、こちらでも珍しいとのことだった。

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