久しぶりに映画を楽しんだ。と言っても2年前の2009年の作品「グラン・トリノ」である。
その頃の記憶で「クリント・イースドウッドも大分年を取ったな」とだけ思っていて、結局、映画館では見ていなかった作品だ、クリント・イーストウッド79歳の監督・主演作品である。
朝鮮戦争を体験したウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド演じる)は、長年デトロイトでフォードの自動車工を勤め上げた。男の隠れ家には、ピカピカの愛車72年型「グラン・トリノ」が置かれ、周りの壁にはぎっしりと工具が架かっている。今は、日本の自動車会社に勤める息子夫婦とは離れて、男一人で暮らしている。
家には国旗を掲げ、奇麗に刈り込んだ芝生に人が入り込もうものなら、ライフルを取り出して出ていけと威嚇する。手のつけられない頑固爺さんだ。隣家には、アジア系移民「モン族」の一家が暮らしている。物語は、ウォルトとモン族のタオがふとしたことから親しくなっていくことで進行していく。
ウォルトは、「古き良きアメリカ」を体現したような生活を送っている。壊れた電気製品などは、壁に架かっている工具を使って自分の手で直してしまったり、友人の理髪店の店主や工事現場の所長としゃれた「男の会話」をする。
タオが同じモン族のギャングから仲間に入るようしつこく言い寄られるが、彼はそれを拒否する。すると、一家の住む家は彼らから襲撃受ける。それに怒ったウォルトはタオを置いて、ギャングに報復に向かう。拳銃や機関銃を構えるギャングに向かって、ウォルトは先ずは煙草を吸おうと胸ポケットに手を入れる。
往年のクリント・イーストウッドの拳銃さばきを知っている観客は、私も含めて、ウォルトが目も止まらない早さで、庭に転がりながらギャングを撃ち殺すると思うだろう。それが見事に外されてしまった。目に焼きつくこの場面を見て、「うーん」と唸らざるを得なかった。びしっと胸に刺さる感動である。
映画は、現代のアメリカの状況を語っている。看板の自動車産業のフォードが衰退し、トヨタが席巻していることに象徴されるように、「古き良きアメリカ」が消えていこうとしている。街は荒廃し、住民自身も自信や誇りを失ってきている。それは、生活の展望が見えない若者に顕著に現れている。「お金」が全てのアメリカの空洞化、多人種国家の苦悩、精神の荒廃、気骨の喪失。
この映画は、「物作りを忘れた」アメリカ人に対して、本当にこれでいいのかと問いかけている。それだけではなく、人生の終盤を迎えようとしている年寄りに対して、「若者を育てる役割がある」というメッセージも流している、ともいえる。
私も、世代の断絶を嘆いていたり、同年代だけで集まるのではなく、どんどん若い人とも交わらなければ、と思った。