今日は成人の日、120万人が成人になる。年々減少してきているとのことだ。大震災からの復興、景気の低迷、円高、企業の海外流出、1000兆円の国の負債。独身の若者の数が急速に増えている。新成人が生きていく社会環境はかつてないく厳しいが、なんとか、明日を見据えてたくましく生き抜いてただきたいものだ。
風呂の水栓から水がぽたぽた落ちるのでパッキンを代えよう。まず蛇口を外し、現物を持ってホームセンターへ。それに合う交換用のパッキンを購入する。それを手順通りに取りつけて、やおら、止水栓を開けると、あろうことか、前よりも余計に水が漏れ出している。おかしいと思って、もう一度やり直す。どうも、ネジの締め付けが緩かったようだ。ところがこれでも漏れるので、再度、別の所を締めるとようやく水漏れが止まった。水道のパッキン替えは、ちょっとしたことで、なかなか上手くいかないのがよくわかった。
その後、今日もウォーキングに出る。やや重い空模様だが、風は暖かい。
今日は、野中寺(やちゅうじ)に行こう。家から、ほとんんどが下り道なので歩きやすい。野中交差点の西北側にある。
野中寺は聖徳太子と蘇我馬子が建立したと言われている古刹である(5世紀後半〜6世紀前半)。俗に叡福寺の「上の太子」、八尾市太子堂にある大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)の「下の太子」に対し、「中の太子」と呼ばれ、河内3太子の1つである。
境内には、塔跡や金堂跡などの飛鳥時代の伽藍の一部が残っており、国指定の史跡になっている。
白のサザンカの巨木で有名だが、境内にある巨大なモチの木にびっしりと赤い実がついていた。
今まで気づかなかったのだが、本堂左手に、ヒチンジョ池西古墳石棺(府指定文化財)が置かれていた。ヒチンジョ池西古墳とは野中寺の南西約1kmの所で1946年(昭和21)に発見された古墳で、石棺は保存のため野中寺境内に移築されたという。
それと、寺の西側にある墓地に「お染久松」の墓があった。お染久松の物語は、大坂東掘瓦屋橋にある油屋の一人娘お染が、店の丁稚久松と恋に落ち、心中をとげるという実話があった。それが人形浄瑠璃や歌舞伎にしたてられ、なかでも近松半二の「新版歌祭文(うたさいもん)・野崎村の段」は、東海林太郎の歌った「野崎小唄」でおなじみだ。
雨がぽつぽつと降り出してきたので、もとの道を戻る。途中、西の空に、ねぐらを探す、ものすごい数のムクドリの乱舞が見られた。