昨年の1月から読み始めたトルストイの「戦争と平和」(中村白葉訳 河出書房新社)を1年1か月がかりで読み終えることができた。途中、何回か中断してしまったが、なんとか諦めず読み進むことができた。奥付は昭和41(1966)年2月25日となっている。47年前である。そのとき、この上下2巻本を買い込んで読み始めたものの、挫折し最後まで読むことができなかった。それを、今になってようやく読み終えた。内容の理解はともかく、実に感慨深いものがある。
フランス革命の動乱のなかで権力を手に入れたナポレオンのロシア侵攻とそれと戦うロシア皇帝、貴族、軍、農民の生きざまが描かれている。ロシア貴族の華やかな社交界と退廃的な生活、領主と農奴、アレキサンドル皇帝とさまざまな政治的派閥。ボルコンスキー公爵家のアンドレイ公爵とロストフ伯爵家のナターシャの恋愛は破綻し、アンドレイ公爵は戦火で倒れる。信仰心篤いマリアとニコライ、富裕な貴族の庶子ピエールとナターシャが結ばれる。これらの恋愛のストーリーは何かぎこちなく、面白くはなかった。「アンナ・カレーニナ」とは大違いだ。
なんといっても、モスクワ西郊外ボロジノ(1812年)におけるフランス軍とロシア軍の会戦がハイライトであろう。現代のようにレーダーも無線もない戦いは、敵軍の動きも自軍の動きもほとんどつかめないまま激突した。結果として、両軍数万の兵士が倒れ、戦いの決着がつかないまま、クトーゾフ率いるロシア軍が撤退した。それにひきつられるようにナポレオンはモスクワを占領する。しかし、ロシアから講和を引き出せないまま、今度は突如としてナポレオン軍がモスクワを撤退しはじめる。ロシア軍の追撃が始まるとナポレオン軍は潰走した。
トルストイのナポレオンと彼を持ちあげる「歴史家」に対する批評は厳しい。
「ロシアの歴史家たちにとって、(口にするのも奇怪な、恐ろしいことであるが)ナポレオン=このいついかなる場所においても、流謫の地においてすらも、かつて人間らしい品位を示したことのない、もっとも無価値な、歴史の道具にすぎない男=ナポレオンは、賛美と感激の対象となっている」
他方で、ボロジノ戦では撤退し、モスクワを明け渡し、潰走するナポレオン軍の追撃戦に反対したクトーゾフ将軍を国民的感情の保有者として称えている。
「単純で、謙虚で、したがって真に偉大であったこの人物は、歴史が考え出したヨーロッパ流の英雄、人々を指導しているあの似非英雄の型におさまることはできなかった。下司にとっては偉大な人間などはありえない、なぜなら、下司には下司相応の偉大の観念があるのだから。」
ピエールがフランス軍の捕虜になった時、同室に居た農民プラトン・カタラーエフ、彼の中に愛すべきロシア国民の姿を見つめている。「彼は、毎日、朝も晩も、横になるときには『神さま、石ころみてえに寝て、まるパンみてえに起こして下され』と言うし、朝起きるときにはいつも肩をすくめながら『寝たらまんまる、起きたらしゃんしゃん』というのだった」
エピローグの第2編に「自由と必然」についての論文が付け加えられている。論旨は分かりにくいが(理解力が弱いので)、自然の法則と同じように歴史的な事象についても法則があると語っている。それはあたかもコペルニクスの地動説が個々の人にとって自覚できないが真実であるのと同じように、歴史的な事象についても、人々は自由に行動しているものと「自覚」しているが、その背景には法則があるのと同じだ、としている。
1812年 ロシア戦役
1828年 トルストイ誕生
1861年 ロシア農奴解放
アメリカ リンカーン大統領就任 南北戦争
1862年 ユゴー「レ・ミゼラベル」
1863年 リンカーン奴隷解放令布告
1868年 明治維新
1869年 「戦争と平和」刊行 トルストイ41歳
1877年 「アンナ・カレーニナ」
1895年 樋口一葉「たけくらべ」
1904年 ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」
1905年 夏目漱石「吾輩は猫である」
1910年 トルストイ82歳、10月28日未明、妻に最後の書を書き残して家出する。
11月7日リャザン・ウラル鉄道のアスターホヴォ駅で死去